小学時代エピソード1
こだわりと恐れ そして励まし
なぜサッカーノートを始めたのかは覚えていません。
始まりは2008年10月6日から。
小学5年生、京都に住んでいた時期です。
所属チームは京都ズイーガSC。ズイーガでは本当に日々サッカーを楽しんでいた記憶でいっぱいです。
ズイーガに所属しながら京都サンガU-12SP(所属チームはそのままで京都サンガU-15昇格を目指すコース。公式ホームページ引用)が当時設立され応募し、セレクションを受け、一期生となりました。
当時1.2回ご指導いただいたコーチが大学で4年間お世話になる古川監督(現横浜FCトップチームコーチ)であったことは入学してから知りました。巡り合わせでしょうか。
所属のズイーガではFWやアタッカーをしていましたがサンガでは違いました。それについてノートに書かれています。
当時の僕はオフェンスに強いこだわりを持っていたんですね。笑
思い返せば練習の送り迎えをしてくれていた母に泣きながら駄々をこねていた記憶があります。母はなにも言わずただ話を聞いてくれていた気がします。
京都サンガSPでは5年生と6年生がコートを半面ずつ使い、分かれて練習をしていました。その時についてはノートにこう書かれています。
この時の記憶はしっかり残っています。人数の関係で数人6年生の方に混ざってトレーニングをすることができました。
れんとは、現在ガイナーレ鳥取に所属する
山本蓮選手です。彼は本当にサッカー少年というか楽しんでるなぁという印象でした。
周りの選手は上手な選手ばかりで6年生はまたさらにレベルが違く見えていました。
恐れている自分 と 楽しんでいる蓮
では同じサッカーをしていても全然違うのを当時感じたのを覚えています。
SPの同期では他にも沼大希選手、竹田そら選手がいます。
5年生が終わり親の転勤により戦いの舞台を札幌に移します。
札幌ジュニアFC U-12に入団。ラスト1年という年に外部からきた僕を快く受け入れてくれた当時の仲間には本当に感謝です。
そして札幌でした初試合でのこと。
また恐れたんですね。。。笑
この当時アンフィニの8番の選手は僕の大親友となる按田頼選手(現いわきFC所属)です。
彼なしでは今の僕を語れません。
小学時代のサッカーノートは"自分を励ます"言葉が多かったです。
それは今も変わらず上手くいかないときは自分で自分を励ましています。
何かを教えられるというよりも"頑張ったね"とか"すごいね"という言葉が当時は最も自分を奮い立たせてくれた気がします。
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中学時代に突入です。
小学時代とは違い多少は字が上手くなっているはずです。
最後までお読みいただきありがとうございました!