ふる先ができるまで

はじめに


ふる先の誕生

 

 天唱ほたる界隈に受け入れられて半年以上は経つわけだが、おれも流石に少しはオンゲントロされる覚悟は持つようになった。

 んで、ちょうどいい頃にRecStarというアプリがリリースされ、スマホで音源収録ができるとかいうとんでもねえ環境になってしまった。これはもうやるしかねえ。

 ただ、何もキャラが思いつかねえ。とりあえず最速でそれっぽいのを録る為にCVVCリストを使って録る。おれの声で一番褒められたのは、アカペラサークルのライブでMCを担当した時で、この声を思い出しつつ録ったのが以下のこれである。

 うわっ、おれの声こんなに真面目な声だったのかよ。もっとクセとかあってくれ、あんまりおれのヘキじゃねえ。

 これが初めの感想だった。ただ、やたらまっすぐハキハキしてんのと、高音がやたら柔らかいのは自分でも思うところがあって、これを活かしつつ、どうにか自分のヘキに近づけていくしかなかった。

 なので、声についてはいろいろなうたけもを研究したり、自分の声について言及があった過去を思い出したりして、それらから採り入れたい要素を少しずつ採り入れていった。

 声の基礎を固めるためにまず参考にしたのは猪音ジェクト君だ。野生的で野太く、まっすぐで、どの音階でもキャラがブレない。おれの喉が許す限り、彼を目標にすることにした。

 ここまで来ると、種族とか設定も少しずつ見えてくるようになる。どうせ作るなら、なるべく今までいなかった種族で作りたかったので、文化的な背景から設定を盛りやすい十二生肖の中で、まだ日本語音源が存在していない確率が高そうな牛を選択。

 あと、やたらまっすぐな声なので、真面目なキャラが似合うように教師という肩書きをつけた。ちょうどおれも「先生」と呼ばれる仕事をしているのもあるし、うたけもはなんとなく若い子が多いので、彼らと組む口実を作りやすそうだという下心もあった。

 残りの細かい設定は勝手に生えてきた。ただし、設定の量や種類を調節するために、隠ヶ音ギョウ君と天底音ネイさんの二人を参考に、公式設定とする範囲を定めた。

 ここまで来て、最大の問題として、おれには画力のがの字もなかったということだ。これは大問題ある。天唱ほたる界隈では、ウオイチバ氏が常に新しいうたけもを待ち望んでいるが、彼がどれだけ望んでいたとしても永遠に音源は出せねえ。

 そこで、半ばヤケになってDMを送って頼んだら、寛大なことに描いてもらえることになった。彼のオリュンポスよりも高い徳によって、ふる先はその姿を現したのである。

 そこから、猛烈な勢いで収録し、休みなく原音設定し、動画を作り、公式リリース。あとはみんなの知っての通りである。

 一つだけ言っておくと、ふる先の設定はみんなと仲良くしたくて練った設定である。いろんなひとと出会わせてやってくれ。

ふる先の扱い

 ふる先についてのおれの立場をまず整理しよう。

・おれもふる先オタクの一人として妄言を吐きまくる。それはいくら中の人とて公式設定としては一切扱わない。もし公式化する情報の増減が発生した際にはおれが全ての設定資料を改変する。

 中の人の言動までもが事実上の聖典となるのはおれの望むことではない。UTAU界隈は良くも悪くも中の人と作り手の距離が近いのが特徴であるから、参照されることはあると思うし、その態度が可能性を拡げるものであるならば歓迎するが、狭める方向に行くのであればやめた方がいいと思う。

誰かを傷つけるために作ったんじゃないので、誰かを悪意を以って扱き下ろす表現はあんまりしてほしくない。

 とはいえ、たとえば、歴史解説、道徳を説くための譬え話を説明するときにどうしてもふれなきゃ成立しない表現があるという話ならば、それはむしろ避けずにストレートに表現してくれ。でないと、話題によっては寸劇等の表現が不可能になる。
 言葉というのは意味する領域が一致しない場合があり、元の表現を尊重しないと正確性が一気に損なわれるケースは多々ある。たとえば、歴史的・文学的文脈における「癩(病)」が「ハンセン病」だけを示すとは限らないのは聖書を読むとわかるし、もっと身近な例を出せば、「ホモ」と「ゲイ」はときに完全な同義ではないのは薄々感じていることだろう。そんなことで言葉狩りしているなどおれには暇はないのだ。
必要があれば、ふる先は自分の責任で堂々とそういった語彙をも用いて語るだろう。

篶鳴ふるの設定について

「知らない方がいいことだってあるんじゃないか? 各人の要領には限度があるものだ」と彼は言うのだろう。だから、今後明かすとしても、それはふせったーで明かすことになろう。
 あんまり情報を増やすと、こだわりの強い作り手の負担になるのはこの身で経験している。ただ、おれが話す時にどんなつもりで話しているのかはまとめておく。

①高校の音楽教師であること自体は公式だが、どういう進路なのかは想像に任せる。ちなみに、音楽の先生になるまでの一般的なルートは、「教育学部で音楽を教える資格を取得する」か「音大で教職課程を取る」の二種類である。どちらにせよ、ピアノが弾けて、楽典を解し、和声法の勉強はしているところは共通しているはずである。

②ふる先は、中の人の趣味のせいで、将来的に無理矢理多言語に対応させられることになります。流石に音楽にあれだけ時間を割き、普通に仕事している中でたくさんの言語を抱え込めるキャパシティが彼の人生にあると思えないので、英語以外の第二外国語に関してはおれの中でルート分岐で対応します。発音くらいならどれだけ両立してもいいけれども、意思疎通が問題ない外国語をたくさん抱え込めるのは言語の専門職だけである。

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