屈服は、敗戦ののち、初めて可能である。

東大の加藤陽子先生の『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社、2016年)402頁からの孫引き、尾崎秀実が1941年8月頃の東京の政治状況を書いた記事を引用する。

日本国内の庶民的意向は、支配層の苦悩とほとんど無関係に、反英米的なことである。(中略)屈服は、敗戦ののち、初めて可能である。たとえ支配層が、その経済的窮地のうちに、いち早く屈服の合理性を見出したとするも、大衆にとっては、いまだ思いも寄らざることである。 引用終わり

FUDが広まるも、トリアージの出来る者は見当たらず、言ったもの勝ちの混沌。 過去に学び、耳を澄ませていきたいものである。