きまぐれ日記『生放送の話(20/09/14)』

ちょっと前に、自分のYouTubeチャンネル(全然動かしてない)で『Fall Guys』というゲームの実況プレイを配信していました。

PS4の機能でゲーム機から直接配信したんですが、最近のゲーム機はそんなこともできるんですね。技術の進歩ってすげえや……。

この配信中でも触れていた、「僕は生放送が苦手だ」という話について書く。


生放送が苦手という話

僕は結構前から動画制作をしていて、初めて自分で動画撮影&編集をしたのは中学生の頃だ(ニコニコ動画で公開してたりした)。

その後、高校3年生の最後に友人たちと短編映画を制作し、大学に進学してからは学生映画を撮っていた。

小説や脚本を書いていたこともあって、「ひとつの作品を練って練って完成まで仕上げる」というプロセスが好きだったのだと思う。逆に言えば、生放送に求められる即興性が、なんとなく苦手だったのだ。

あと、そもそも自分のことをコミュ障だと思っていた(今も思っているけど)ので、修正できない状況でペラペラ喋ること自体が怖い、というのもあった。


そんな僕が生放送に携わることになったのは、2016年の秋だった。

『e☆イヤホン』にバイト入社した僕は、自社コンテンツとしてYouTubeがあることを知り、「動画を作ってみたい!」と生意気にも要望した。編集技術は多少持っていたし、いわゆるYouTuber的なコンテンツは作ったことが無かったけども、なんとなくできそうというか、「自分の技術を組み合わせれば、形にはなりそうだ」というイメージがあった。

翌週から、僕は生放送番組『e☆イヤホンTV』のMCとして参加することになる。


なんで〜〜〜〜〜?


「いや、僕がやりたかったのは生放送じゃなくて動画……」という言葉を飲み込みつつ、とりあえず頑張った。

そこからメインMCへの引き継ぎも含めて4年弱もの間、番組を任せていただけたのは本当に幸運なことだったと思う。


結論として、番組制作も本質的には同じだということがわかった。

放送内容を企画し、台本を固め、映すのに必要な製品を用意し、必要によってはゲストを招き、撮影の準備をし、身なりを整え、配信を開始する。

「即興性が苦手だった」と上で書いたけど、生放送は即興が全てではない。むしろ、生放送という一瞬のための綿密な作り込みこそが、その本質なのかもしれない。僕はそんなふうに思った。


ありがたいことに、僕は今でもGetNaviさんで生放送番組を持たせていただけることになった(詳しくは先日の記事をご覧ください)。

主な番組構成や配信作業などはスタッフさんがやってくれるので、僕自信の負担はずいぶん減ったのだけど、それでも「作り込み」の楽しさは失われていないように思う。むしろ、担当することが絞られたからこそ、よりシビアに役割が求められる、とも。


そんなわけで、生放送番組に対する楽しみを見いだせるようになった結果、最初に貼ったFall Guysみたいな即興性100の配信も楽しめるようになりました。気が向いた時にチマチマ配信していくので、よかったらご覧ください。


番組の雰囲気の話

生放送話のついでに、もうひとつ。

先週末に放送されたe☆イヤホンTVの終了後のお写真なんですが、これ、めっっっっっちゃくちゃ良い写真ですよね。正直、ちょっとだけ感動しちゃいました。


僕は、なんでもかんでも1人で背負い込んでしまうタイプで、「自分がやるのが最適だと思ったなら、全部自分でやる」という考えの持ち主です。器用貧乏な部分と組み合わさって、そういう性格ができたんだと思うんだけど……。

前任のメインMCだったりょう太さんも割と近いタイプだったので、色んなスタッフの力を借りることはありつつも、基本的には自分の部署で完結したコンテンツ作りを行っていたように思う。


今のメインMCはたにみくという女の子が担当しているんだけど、実はこれは、eイヤTVの歴史的にも結構珍しいことだ。

というのも、歴代MCは店長経験者だったり、いわゆる「上の人」がやっていたんですよね(僕は平社員だったけど)。

それだけに、ここ数年はある種の近寄りがたさというか、「バイトの子とかも気軽に遊びにこれる」みたいな雰囲気作りができていなかったんだな、と、今の番組の空気を見て痛感した(あと「やっぱり僕コミュ障だったんだな」と思った)。

今のeイヤTVは、本当に雰囲気が良い。それ以前の雰囲気が悪かったとかそういうことではなく、純粋に「より良い形になったな」と納得できる変化が生まれたと思う。

たにみく、かっしー、ケイティという3人が番組づくりを進めていってくれることで、今まで積み重ねてきたものをしっかりと継承しつつも、番組としては明らかに新しい風が吹いていて、それは逆にeイヤらしさが強く感じられるものだった。『個』を重視する僕には見えていなかった部分だ。


正直、(どのみち必要なことだったとはいえ)引き継ぎを強いてしまったことに申し訳無さや責任感みたいなものを感じているのだけど、それに加えて今は「任せてよかったな」という気持ちも、同じくらい強く感じている。

かつて僕がメインMCを引き継いだあの日も、同じようなことを思ってもらえていただろうか。


軸を同じとしていながらも、担当する人間によってその性質や雰囲気は大きく変わっていく。変えようとしても、しなくても、その流れはまぬがれない。

ただ、その変化はかならずベストな形を見つけられるはずだ。

僕も色々なメディアと仕事させていただく機会が多くなり、そのメディアの本質を崩さないようにしつつも、僕が参加する意味、その最適解を見出していきたい。


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