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ピクトグラムの起源-オットーノイラート-

先日行われた2020東京五輪だが、開会式で話題になったプログラムの一つとして「人間ピクトグラム」があった。今回はそのピクトグラムの起源として、「オットーノイラート」という人物を教えていただいたため、紹介しようと思う。

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↑ 人間ピクトグラム。確かに面白かった。↑

オットーノイラート

以下基本情報(引用元 「絵文字」を発明したのは、デザイナーでなく哲学者だった)
--------------------------------------------------------------------------------------オットー・ノイラート Otto Neurath 1882-1945
哲学者、社会学者、政治経済学者哲学者
ウィーン生まれ。統計情報を視覚化するプロジェクトや、読み書きのできない人々に複雑な社会経済の事実を伝える「社会経済博物館」のプロジェクトを通じて視覚教育の研究へ。イラストレーターのゲルト・アルンツやマリー・ライデマイスターとともに1920年代、絵言葉「アイソタイプ」を開発。ウィーン学団の指導的人物のひとり。
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ピクトグラムの元である「アイソタイプ」作ったのはデザイナーではなく、哲学者だというところに衝撃を受けた。開発当初は、戦争のせいで教育を受けられなかったウィーンの労働者や、言葉がわからない移民に、社会経済を教育することを目的としていたそう。現在だと、ピクトグラムは素早く情報を伝えるという目的が一番大きいと思う。しかしその起源は第一次世界大戦という深刻な社会問題にあったのだと分かった。

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DUCATION
→「ISOTYPE-国際絵ことば-」

ノイラートの言葉として、"現代人は映画とイラストレーションにたいそう親しんでいる。教育のかなりを快楽的な仕方で、部分的には余暇の時間に視覚的な印象をとして受け取っている。社会的な教育を広めようとするのであれば、こうした提示方法を用いなければならないのだ。現代のポスターはこの方法をわれわれに示している。"というものがあった。この言葉からも分かるが、ノイラートはデザインに対して社会学・哲学的側面からアプローチしている。普遍的な感想ではあるが、「デザインを学ぶ」ということの難しさ、幅広さに改めて気づかされた。

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