2023.01.12




職場の後輩から「ひいらぎさんはもっと自分を大切にしてください、もらっている給料以上に考え込まないでください。ひいらぎさんの人生はひいらぎさんのものです」と怒られた。

それはそうだよな、と思ったんだけど、別に会社のためとか誰かのため、仕事のために自分を擦り減らしている認識は自分のどこを探しても特になくて、それはそうだけど、それなんか違うんだよ、とも思った。

でも仕事で自分が疲弊しているのは確かであって、じゃあこの違和感は何なんだろう?


根本にある原因は自己評価の低さ、自己肯定感の低さらしい。

自分がもっとやれればこの溝を埋められるのに、っていうのが見えてるのにやりきれない自分を受容するのが嫌だ。

それを埋めるために醜くも足掻ける自分じゃないと愛せない、歪でどうしようもない向上心と自己肯定感。


よく「自己肯定感が低いから自分を認められない」とか言うけどあんまりその感覚ってわからない。
自己肯定感って才能じゃない、自分を認めるために努力するのは自分なわけで。

まあでも一般的な物差しで話すなら精神全部歪めるほど努力しなきゃ自分を認められないわたしは「自己肯定感が低い人」なんだろうね。


自分を好きでいるためには自分を追い込んで、たまには蹴り飛ばしたり殴り付けたりして、隙間を埋め続けるしかない。
それなのに外から見ると「追い込みすぎ」「自分を大切にしろ」「無理するな」って残酷。自分のこと嫌いになれって言うんですか?


完璧主義な自分に囚われていても良いことないからって努力して「良い加減」を覚えたけど、このストイックさ(自分のことをストイックだなんて思ったことは20年と少しの生において一度もなかったけど、最近よく他人から言われるからそうなんだろう、と納得している)も良いことないから矯正しようって思えたら良いけどな。

向上心と上手に付き合って行くのも難しいらしい。

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