23rd Anniversary : 2023/01/10
丸23年、我ながらよく生きたなあと思っている。
自分のことは強い方だと思ってるけど、生まれたときから強かったわけじゃないし、むしろ昔の自分に生きるに足る強さの持ち合わせがあったとは思ってない。
それでも人生という戦いの前に放り出された時点で選択肢は「戦うために強くなる」か「逃げるために強くなる」かしかない。
同じ強くなるなら勝ちたかった、負けず嫌いなところは昔からだね。
気付いたらもういい加減「可能性のある若者」というラベルにあぐらをかいていられる歳でもなくなってきた。
「もうこの歳では何かをはじめるには遅すぎる」「もう若くないから体が動かない」って言い訳が猛スピードで迫ってくる。
歳を取るにつれて、自分の知っている世界を「この世界のすべて」と同値にしようとする思考バイアスが掛かるような気がする。
自分より若い人のほうが自分よりいろんな世界を見てるなんて往々にしてある、視野は広く持っていたい。
いろんな「歳を取る恐怖」から逃げ続ける日々である。
だけど「若いからそう言っていられるんだよ」って誰かの言葉に反例を示すには歳を取るしかない。
逃げ続けたこと、その事実自体が意味になって自分の努力を証明してくれる日まで逃げ続けていたい。
未来のはなし
正直別に長生きしたいとは思わないし、明日死んでもまあ仕方ないか、ぐらいの感覚で今日も生きている。
未来のことなんか誰も保証してくれない。
自分に明日がある前提で生きているほうが不健全だとわたしは思っている。
それでももしかすると明日どころか10年、20年、50年先も生きてるかもしれない。
Twitterでは少し言及したことがあるけども、わたしは根本的に未来に期待をしていない。
どうせ特に面白味もない未来が待ってるだろうなと思ってるし、面白味もない未来には「将来の夢」なんてものもない。
コーヒーを淹れるのは好きだけど、将来コーヒー屋さんを開きたいというわけではない。
写真を撮るのも絵を描くのも好きだけど、いつか個展を開きたいというわけでもない。
それは別に「そうなりたくない」というわけではなくて、そういう未来があるとすればそれはそれで面白いだろうと思う。
でもそれを目標にするのはなんか違うよなって気がしている。
去年母校を訪問したとき、後輩の進路相談に乗ったということがあった。
「絵を描くことやデザインが好きだけど、今自分は高専4年生で、今から美大や専門学校に行けるほど裕福ではない。でも自分にとってエンジニアになることが正しいとも思えない。どうすればいいだろうか」という。
一旦はWebサイトを作るエンジニアになる。
仕事をしながらスキルを広げていき、Webサイトを作るデザイナーに転身する。
その先でさらにつくりたいものが固まればそれを作るデザイナーになる。
一度就職したからと言ってそれ以外の道が閉ざされるわけではないので、やりたいことの選択肢を潰さない努力だけ怠らなければ何か掴めるんじゃないですかね。
……と答えた記憶がある。今もそう思っている。
「何になるか」ではなく「何をやるか」なんじゃないかな、という感じがする。好きなことに関しても。
たまに「わたしは自分のことを特別だと思っているのではないか、それってどうしようもなく醜いことなのではないか」と思うことがある。
実際自分のこと普通とは言えないと思うが、特別かと言われればそんなことはない。
考えても答えは出ないけど、一旦自分の迷いに反論するなら「別にわたしは“特別”に対して憧れとかないけどな」になりそうな気がする。
強いて言うなら「特別じゃなくても進むことを諦めない人」に憧れている。
自分が何で、何になるかじゃなくて、何をするかを大切にしたい。
そういうことを続けて、「予測できない未来」でも「導くべき正解」でもなく「積み上げてきたことの結果」として何某かの将来が築かれていたらいいなと思う。
思想のはなし
2022年は特別な年だったと散々騒ぎ散らしたが、実際自分が生きていて特別じゃなかった年なんか数えるほどしかないと思う。
それでも2022年を特別だと思ってしまうのは、自分の内面や思想を表現することに向き直せたからだろう。
日頃から「自分は思想家である」という話をしているが、これは全面的に自分の部活動経験から来る性質である。
自分がした苦労とか受けた理不尽とか感じた不甲斐なさとか、そうやって負った心の傷とか、誰も癒してくれなかったし助けてくれなかったけど、助けてほしいとずっと思ってた。
だから自分の後ろの代には要らない苦労をしてほしくない。
誰かを助けることで過去の自分を助けた気になりたいというだけだけど。
もちろん必要な苦労もあるけど、だからこそ同じ消耗するなら必要な苦労で消耗したほうが良い。
他人の不幸は蜜の味じゃないし、自分の受けた理不尽を繰り返して他人に擦りつけるのも馬鹿馬鹿しい。
こうして思想家としてのわたしの輪郭が形成され、それを叫んできた。
基本的に引っ込み思案で上がり症のわたしが壇上に立つことすらあった。
それが間違っていたとは思わないけど、言葉ってまっすぐ語りすぎると誤解を招くんだってこともその頃知った。
どれだけ真摯に向き合っても伝わらない相手はいる。
わたしの言葉を理解しようとした結果それを捻じ曲げて作り上げた武器を自分の周囲に振り翳してしまう人すらいた。
「ひいらぎさんがこう言ってるからお前たちは間違ってる」とか、
そんなこと言ってないし、でも伝わらないし。
「自分で考えてください」「自分の言葉で話してください」を伝えるにはどうすればいいんだろうと悩みはじめて5年ぐらいになる。
語り過ぎちゃダメなんだな、余白がないと考えるには至らないのかもしれないな。
考えること、それを人に伝えられるまで組み上げること、そしてそこから敢えてピントをずらすこと。
表現との戦いは壇上から降りても続いている。
今年のはなし
「今年の抱負」という言葉が好きではない。肌に合わないと思っている。
年が変わったところでやることは変わらない。
負けないこと、疑うこと、考えて、更新し続けること。自分が変わることを恐れないこと。
今年も変わらず進み続けることや自分の手の届く範囲の経験を着実に拾っていくことをしたいです。
まずは今月、池袋の企画写真展にわたしの写真が1点だけ出ます。
シルエット展というイベントです。
年末に企画者さんから声をかけていただき(正直わたしはこの手の声掛けは全部詐欺だと思っている程度には人間不信のきらいがあるのでそっと無視しようかと思ったのですが悪い方ではなさそうだったので自分が損しないことを確認した上で)出展することにしました。
1/28,29の土日、東池袋ギャラリーという場所で両日13:00-19:00の展示です。
多分わたしもどこかのタイミングでいます。
たまたまお近くを通り掛かることがあれば遊びに来てください。
5月にはデザインフェスタにサークル出展が決まっています。
また頃合いを見てちゃんとお知らせするつもりですが、フォロワーと進めている合同写真集とわたしの個人作品集と2冊、あとは小物類やポストカードが出たり出なかったりすると思います。
こちらももし都合の合う方がいらしたらぜひ。
もちろんライブにも行くしインターネットキモポエムも元気にやっていきます。
引き続き、飽きるまでの間面白がってもらえると嬉しいです。
今年もよろしくお願いします。
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