2022.01.13




昔、本当に全部がわからなくなって夜も一睡もできなかった末、頭が急回転したように「今まで何をそんなに悩んでたんだっけ?」と心が凪いだ日があった。

それは多分「平気になった」とかじゃなくて一種の乖離に近い現象で、これ以上は受け止められなくなった心が苦しみを自分から引き剥がそうとした結果なのだと思っている。

そのまま携帯も置いて財布だけ持って家を出て、丸一日外を歩いて回った。
何かを悲観してたわけじゃないけど、そうすることで何か好転のきっかけが掴める気がしていた。

帰ったら母親が泣きながら待っていて、「そんなつもりなかったのにな」とだけ思ったのを今も覚えている。


あの日以来、わたしは「散歩」に少しだけ特別な感情を持っている。


「歩く」というだけで何かが変わるわけがないんだけど、「歩く」というだけならまあ、限界に立たされていても、ギリギリできる。

どんなに今が絶望的でも自分はちゃんと歩けてる、自分の足で。
まだ歩けてる、進めてる、まだ自分は残ってる。

それを証明する、信じるために、本当に、残ったほんの少しの力で為せる最後の一手、だと思っているのかもしれない。


ここ1,2ヶ月ほど、随分と久し振りに切羽詰まった思いをしている。
正直行き詰まっている。目の前に崖しかない。進むには飛び降りるしかない、そういう感覚がある。

昔も一度二度そういう経験をした結果わたしは今「養殖ポジティブ人間」として生きているので、そのときと同じように、多分近い将来崖を飛び降りて、また歩き始めると思う。

足の骨が折れたりはするかもしれない。それでも歩くのをやめるよりは安いと思う。
自分の心はもう複雑骨折状態で誰にもそれを理屈立てて説明できないけど、そんなんでも歩けてさえいれば良い。



随分と久し振りに「散歩をしても心が歩き出してくれない」という状況に立たされている。

大抵いつも歩いていると心が落ち着いてきて、もうちょっと頑張れるかな、という気持ちになってくるんだけど、久し振りにそこまで至れなかった。

歩くことがつらい。
このまま歩き続けて、少しずつ力を失って、どこかで音もなく倒れてしまうんだろうな、みたいな漠然とした不安が地面に触れた足を伝って頭を揺らす。


どうしようもない不安と、このまま不安に飲まれた先に“自分”はいないことがわかっている焦燥感と、そんな中で「自分の中にも不安ってあったんだ」っていう場違いな安心が肩を並べて座っている。









普段より随分と文章に収集がつかないな、何かを残したくて言葉を書いているはずなんだけど、この文章を残しておくことに何の意味があるのかはわからない。

強いて言うなら「決意表明」かな。

こんなにぐちゃぐちゃになっても本気で人ひとり救えるぐらい輝いてやるからな、お前らのこと本気で驚かせてやるからな、絶対誰も想像付かないぐらい踏ん張ってやるからな、っていう、本気で生きていることの証明を残していたいんだと思う。

元々平気だったわけでも元々前向きだったわけでも環境に恵まれたわけでもない、歪んだわたしだって本気でしがみついてんだよって記録が、いつか誰かがしがみつくための手掛かりになればいい。









他人を信じられなかったり、自分という存在に優しくしてもらえるだけの価値を感じられなかったりする。

人に優しくされればされるほど、そういう弱さが粗末に思えて、情けなくて、悲しくなってしまう。

多分誰にでもあることな気がする、わたしが特別なわけじゃなくて。


そんなどうしようもない自分のことを「自分と同じだけの重みを持ったひとりの人間」として大切に見てくれてる人がいる。

跳ね除けるのはそれこそ粗末で無価値なことだと思う。
どれだけ人が怖くて外にも出たくないほど自分が惨めでも、誰かが自分のために向けてくれたあたたかさだけは信じる努力をしなきゃいけない。

優しさを受け入れることぐらいは最後の努力として踏ん張らないとダメですよね。


みんなも他人の優しさ無碍にして突き飛ばしちゃダメだよ。

どれだけ自己否定に陥っても他人を否定しちゃいけない。
他人が評価してくれる自分を否定することは他人を否定するのと一緒だから。



誰もそんなにわたしのこと無価値とか思ってないってわかってるし、それでも自分が何者かでいられないと怖くなるのはただわたしの人間強度が不十分だから。

これを人は「ストイック」とか「頑張りすぎ」とか「自分に厳しい」とか言うんでしょうか。


それが悪いことだとか損気だとか、やっぱり思えないな。

何度崖から落ちてこの世の何もかもを信じられなくなっても自分だけは信じていたい。
この世で唯一自分にだけは依存していいって思っていたい。

そのために自分に厳しくいるのかもしれない。

常に自分を肯定していたい。努力する人は偉い、だからわたしも偉い。

そういう柱に縋って生きているような気がしている。

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