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5月22日礼拝メッセージのまとめ「復活の出来事④罪の赦し、新たな始まり」

昨日は総会と先週の忙しさから疲れてしまい、帰って夕食いただいてから軽くうたたねするつもりが、目が覚めたら朝でした😅
なので、礼拝メッセージのまとめが今日になってしまいました。

礼拝メッセージの箇所はヨハネによる福音書21章15~19節、宣教タイトルは「復活の出来事④罪の赦し、新たな始まり」

ここでは復活されたイエス様がペトロに三回「私を愛しているか」と聞かれ「私の小羊を飼いなさい」「私の羊の世話をしなさい」「私に従いなさい」と言われた箇所です。
なぜ、三回も「私を愛しているか」とペトロに聞かれたかは、イエス様が捕まったとき、様子を見に行ったペトロが三回、イエス様を知らないと言ってしまったからです。
つまり、そのことをイエス様は三回赦す必要があったのです。
この箇所の前に「シモン・ペテロは、「主だ」と聞くと、裸同然であったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。」(ヨハネ21:7)とあります。
これは善悪の知識の木の実を食べてしまったアダムとエバが裸であるのに気づいて隠れたのとは違い、ペトロは上着を着て主に近づ行っていますし、創世記では神はアダムとエバをエデンの園から追放しましたが、イエス様はペトロを赦し、新たな使命を与えています。

また、ペトロがイエス様から「私の小羊を飼いなさい」と言われたから1番偉い弟子とかではなく、弟子の筆頭者、リーダーであったペトロさえ思わずイエス様を知らないと3回も言ってしまった弱さがあり、それは人間誰しもそうした弱さがあるということであり、そうした弱さもあるペトロをイエス様はその罪の数だけ赦し、「私の小羊を飼いなさい」と新たな使命を与えれ、それは1番弟子だから威張りなさいと言うことではないと牧師先生。

私はそれに加えて、あなたも3回も私を知らないと言ってしまった弱さがあるのだから、他の人の弱さを責めるのではなく赦し、私の教えに導いてあげなさい。
それが私が言った「羊の世話をしなさい」という意味ですよと、イエス様はおっしゃっておられるのだと思いました。
しかし、そこを勘違いしている教会やトップ(司祭や牧師)がいることは悲しいことだと思いました。
ADHDの衝動性が強く失敗が多い私は、そうした教会では問題児扱いで手に負えないとされてしまいましたが、今の教会はそんな私を、ペトロを3回赦し、新たな使命を与えられたイエス様のように受け入れてくださいました。
そして、主日礼拝のメッセージや教会のテーマーである「違いの中にキリストを告白する群れ~響き合う礼拝とひろば~」を軸とする教会総意に、私は救いと希望を感じ、私自身が御言葉やイエス様によって作り変えられっているのを実感し感謝しています。

礼拝で賛美した新生讃美歌は
「主の恵みに生きる」

みなさまの1週間が守られますように🍀


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