6月18日の礼拝メッセージ「ユダの裏切り イエスの悲しみ ~生まれなかったほうが良かった?!~」
6月18日の礼拝メッセージは信徒宣教で、教会員のN瀬さんがマルコによる福音書 14章10~21節より「ユダの裏切り イエスの悲しみ ~生まれなかったほうが良かった?!~」という宣教タイトルでしてくださいました。
6月18日は父の日でした。
N瀬さんは聖書の中で父と言えば、放蕩息子の話が好きだと仰っていました。
私も好きな話です。
私たち人は天にいます父にしたら、全て放蕩息子、娘だと思います。
それはイエス様の弟子たちも同じでした。
イエス様を裏切ったイスカリオテのユダだけでなく、他の弟子もイエス様が十字架に掛けらたとき逃げた放蕩息子たちでした。
N瀬さんは、今日の聖書の箇所は、私がずっと長年、疑問に思い、どう理解してよいのかどうしても分からないという部分でした。
イエス様がユダに向かい、「生まれなかった方が、その者のためによかった。」と言われる場面です。
イエス様がそんな絶望的な言葉を弟子に向かって本当に言われたのか?
あの愛に生きて、弱い者、悲しみ、苦しみを負い、絶望している者、罪人の味方であるイエス様が。
しかし、この部分はギリシヤ語の原文では、深い悲しみ、悲痛をあらわしていて、当時のユダヤ人が本当に悲しくてどうしようもない時に使った、深い悲しみを表現する決まり文句だとの見方があります。
だから、ユダの今、生きている存在を否定していないのです。
あまりに悲しすぎて、「彼は生まれなかった方が、こんな悲しみ、苦しみを味わうことがなくて済んだのに。なんて悲しいんだ!なんて可哀想なんだ!」という叫びと解釈しました。
マタイによる福音書で裏切ったことを後悔したユダは自殺の道を選びました。
ユダには救いが届かなかったのでしょうか。
否、イエス様は、ユダをはじめ、私たちを決して見捨てません。
イエス様はユダにも私たちにも言われます。
「あなたの罪は裁かれ赦された。
さあ、私と一緒に帰ろう。
あなたが帰るべきところは私のところなのだ。」と呼びかけて下さっています。
イエス様と共に「生まれてきてよかった」という人生を歩んでいければと心から願い、祈っていきたいと思いますと締めくくられました。
2年ほど前に特別宣教に来てくださった東八幡キリスト教会牧師の奥田知志牧師の著書「ユダよ帰れ」には、N瀬さんが仰った「あなたの罪は裁かれ赦された。
さあ、私と一緒に帰ろう。
あなたが帰るべきところは私のところなのだ。」と書かれてあり、私も疑問に思っていたイスカリオテのユダは赦されなかったのか?が、奥田牧師は創作だとは仰っていましたが、イエス様ならそう言われたはずだと読んで私の気持ちも救われました。
私自身は今までも、これからも放蕩娘だと思います。
でも、イエス様はそんな私にも「あなたの罪は裁かれ赦された。
さあ、私と一緒に帰ろう。
あなたが帰るべきところは私のところなのだ。」と仰ってくださっています。
そのことに感謝し、毎日、イエス様の元に帰っていこうと思います。
礼拝で賛美した
「われに来よと主は今」
皆さまの1週間が守られますように🍀
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