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3月20日、礼拝メッセージまとめ(教会はキリストの体。一人一人はその部分)

今日の礼拝メッセージの箇所はコリントンの信徒への手紙、12章26~31節、宣教テーマは「教会はキリストの体。一人一人はその部分」でした。

教会はキリストによって互いに結び合わされている集団です。
しかし、コロナ渦では直接会うのが難しい状態です。
でも、直接会うこと以上に大切なのが、お互いへの思いによって、
互いに結び合わされているということです。
それが、主イエス・キリストの教会といえます。
そこには、信仰による一致が必要になってきます。
しかし、一致は同一ではありません。

私はこのことを以下のように考えました。

目指す方向や目的地は一緒だけども、計画を立てる人、下見をする人、
行き方を調べる人、引率者、サポート役、金銭を管理する人、
時間を管理する人、集客をする人、お弁当などを調達する人、
道案内をする人、後ろから見守る人、救護者、
余興などのお楽しみを考える人や進行役、勉強会などの講師、
参加者が揃い、気持ち、力を合わせないと目的地には辿り着きません。

パウロの言うところの「皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。」です。

パウロは体の部分に例えているのは、私たち一人ひとりがちがうことを
認め、補い、支え合うことで大きな賜物を受けることが出来ると
言っています。

私たちは違いによって切り離されるのではなく、
むしろ、イエス・キリストによって内に繋がっていると
牧師先生はおしゃっていました。

私は今、私の至らさなにより、社会人の娘たちとは不仲が続いています。でも、娘たちもクリスチャンで、親としては本当に至らなくって、
娘たちに申し訳ない思いで、いっぱいですが、
娘たちが小さい時から教会へ連れていきイエス様につなげることが
出来た事だけは親として良いことができたのではと思っています。

次女はわかりませんが、長女は別の教会に今も熱心に行っているので、
主の御心、ご計画ならば、信仰によって一致出来る日が来るかも
しれないと祈っています。

そのためには私が信仰によって変わっていく、
主によって変えられていく必要がありますね。

そのために、私は娘たちとは別の教会で御言葉によって
一から学び直す必要があり、今の教会に導かれ招かれたのだと思います。

だから、私は生まれ変わる気持ちで今の教会で再バプテスマを受けました。

まだまだ誘惑や揺れ動くときもありますが、以前の私なら誘惑に負けたり、流されていたでしょう、でも、礼拝での宣教や毎日の聖書通読で御言葉に
触れることで何とか流されずに済んでいます。

今の教会で私が出来ることや賜物が何かはまだわかりませんが、
主はきっと何か与えてくださっているはずです。

今は与えられた奉仕や私に出来そうなことを
少しづつしていきたいと思います。

それ以上に教会会員の一員であることを忘れずに、
教会を、教会会員の方お一人お一人を愛し、
気持ちを寄せていきたいと思います。

今までは愛されたい思いが強かったですが、
これからは愛することも覚えていきたいです。

礼拝で歌った新生讃美歌
「キリスト教会の主よ」

みなさまの1週間が守れますように🍀



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