見出し画像

5月15日礼拝メッセージまとめ(信じない者で はなく、信じる者になりなさい。)

今週の主日礼拝メッセージ箇所はヨハネによる福音書20章24~29節、宣教箇所は「復活の出来事③不信者の赦し」でした。

 要約すれば弟子たちが、復活された主を見たと言っているのに、その場にいなかったことで、それを目撃できなかったトマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この 手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言っていました。
 しかし、トマスも他の弟子たちと一緒にいたとき、鍵をかけていたにもかかわらず、イエス様が「あなたがたに平和がありますように」と現れました。
 それから、トマスに言われた。 
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。 
また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。
 信じない者で はなく、信じる者になりなさい。」
 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
 イエスはトマスに言われた。
 「わたしを見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は、幸いである。」

 

人は見えないものを信じることは、なかなか出来ません。 他の弟子だって復活されたイエス様を目で見るまで信じることが出来ませんでした。 トマスは復活されたイエス様を単に信じられずに、この目で見るまでは決して信じないと頑なに言ったのではなく、自分だけ仲間外れにされたような不満と寂しさから、このように吐き出したのかもしれませんと牧師先生。 私は子供の頃、いじめられ、よく仲間はずにされていたのでトマスの悲しみ、寂しさは痛いほどよくわかります。 でも、イエス様はトマスのことも、わたしのことも決して仲間外れにしたわけでも、見捨てられたわっけではなかったのです。 全てには時があり、トマスには他の弟子より後のこの時が、トマスのその後の歩みにベストの時だったのでしょう。 私も幼少期のいじめられていた体験などがあったからこそ、今、主の御言葉が私の今の人生に生かさられいます。 主と聖霊様によって信じない者で はなく、信じる者に変えられっていったのです。 

 

主日礼拝で賛美した新生讃美歌は
 「罪ゆるされしこの身をば」
 

歌詞の中の“我、何を持ちて、これに応えん”が胸に刺さります。 
私は何を持ちて、主の赦しに応えていけるでしょうか…
祈りながら探していきたいと思います。 
みなさまの1週間が守られますように🍀



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?