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8月7日の礼拝メッセージ「イエス・キリストの御言葉に生きる」

8月7日の礼拝メッセージの聖書箇所は詩編133編1節とⅡテモテへの手紙 4章1~5節、宣教タイトルは「イエス・キリストの御言葉に生きる」でした。

教会とは会堂の建物を指すのではなく、信徒の交わりの只中にあると牧師先生。

困難の中でも神様が共におられ、御言葉を支えに、励まし合い、祈りあえる、その喜びが133編1節の「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」と感動的な詩なりました。
その背景にはイスラエルの人々が経験した歴史的な大患難があり、それは神の守りのうちにあるはずのイスラエル国の滅亡でした。
バビロンという敵国に捕囚という強制連行をされることであり、人々がちりぢりバラバラに住まうことを余儀なくされるということでした。
イスラエルはディアスポラ(離散の民)と言われますが、まさにもう二度とかつてのように「共に座る」ということが難しい状況においやられました。彼らはその出来事を神の裁きとして受け取り、自分たちの悔い改めの出来事として受け取っていきました。
ですから彼らは年に一度それぞれの場所から出かけて行って主の神殿に集っていたのです。
この詩が【都に上る歌】と名付けられているのは、そのような理由があります。

困難を神様や環境や状況のせいにするのではなく、自分の出来事として受け入れ、悔い改めの心構えが出来れば、困難の中にも神様が共にいてくださっていると感じることができ、困難も恵みだと気付くことが出来ます。

コロナ渦で教会は集う場所から、繋がる場所に変わってきたと牧師先生。
神の御言葉を共有し、励まし合い、祈りあうのが教会なのでしょう。
どんな時でもイエス・キリストの御言葉に立っていく、倒れ、くじけそうになっても御言葉は消えたり、奪われたりせずに再び力を与えてくれます。

私も3年前に倒れ、くじけそうになり困難の中にいましたが、その時に御言葉に立ち返ろう、この状況から救ってくださるのはキリスト教の御言葉しかないと思い、クリスチャンだった姉に手紙を書き、姉や姉の教会の姉妹たちに祈っていただき、今の教会に導かれ、主の憐れみや御恵みを感じて感謝しています。


礼拝で歌った新生讃美歌は
「人生の海のあらしに」

みなさまの1週間が守られますように🍀


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