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10月23日の礼拝メッセージ「種として蒔かれる」

10月23日の礼拝メッセージは、神戸聖愛教会の小栗献牧師先生がコリントへの信徒への手紙第一15章35~44節から「種として蒔かれる」という宣教タイトルでしてくださいました。

まず、小栗先生は種が持ってる力、ぐんぐん成長していく力には励まされますと宣教を初められました。

これには、私も同感いたします。

植物から来る言葉も成長株、根を張るなど、たくさんありすし、聖書にも種蒔のたとえば話はたくさんあります。

植物には植物の、人には人のライフサイクルがあります。

芽が出て、花が咲いて、散って実がる。
実の中には種があります。
植物は枯れて終わるのではなく、種が未来の希望を運びます。
それが植物の復活です。

人の復活は肉の身体でよみがえるわけではなく、霊の体でよみがえり、
よみがえった霊の種は天に蒔かれます。

私たちは毎日、新しい日、夜明けを迎えるために眠りにつきます。
人生、最期の時も同じだと小栗先生は仰っています。

この世で息吹(産声)を上げ、恵みの光や雨を受けて育ち成長していく。
そして実を付け、終わりの時が来たら種を残し、天に蒔かれる時を待つのだと。

これが人のライフサイクルのようです。

植物が美しい花を咲かすには、寒い冬に土の中でしっかり栄養を吸収し、光も雨もしっかり受け、時には強い日差しや激しい嵐という試練にも耐えて、美しいだけでなく、強い花として育ちます。
人も同じなのでしょうね。
そして、植物の花も人も美しく強くされるのは神様です。

私がどうか人生という花を美しく強く咲き、種となり復活という未来へ希望を運んでいくことが出来ますように、聖霊様によって導き守ってください。


礼拝で歌った賛美歌は
「球根の中には」

皆さまの1週間が守られますように🍀

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