3/31 所信表明と老害としての戯言
ここまで8つのブログ記事を書いてみたが、継続して文章を書くのって難しいなと改めて感じた。単純な弾切れである。温めているネタも上手くまとまらなくなってきた。凄い勢いでエース級のカードを切ってしまったのが良くなかった。
クオリティを担保するには一定の時間をかけたほうがよい。それは歌詞も同じで、一旦完成させてからバンドで合わせて歌ってみてもまったくハマっていないなんてことはザラにある。
インプットからアウトプットまでを一旦行って、誤差を修正するみたいなニューラルネットワーク的ブラッシュアップをさらに重ねる必要がある。ただ局所解にはハマりたくない。
社会人になればさらに自由な時間は減るだろうし、慣れないうちは疲れから何もできなさそうだ。なおさら作業に時間がかかるようになるだろう。
サークルの人々のブログを読んだり、ブログを書いたりしてみて、良質なアウトプットは豊富なインプットがないと無理だという当たり前のことを再認識した。
自虐的表現をすれば自分に中身がないこと、大して面白くないことに気づかざるを得なかった。面白い人間にはまだ程遠い。
僕は熱く語れることがたくさん持っている人たちが羨ましい。それが勉強であれ、アニメであれ、映画であれ、スポーツであれ、熱心に魅力を伝えられる人が羨ましい。自分なりの哲学を持って、物事への考えを表明できる人が羨ましい。
僕は言語化がとにかく苦手だから、人に何かをお勧めしてそれにハマってもらったみたいなある種成功体験のようなものがあまりない。
自分が好きな映画のジャンルについて語ったところでそれが共感を呼ぶかも自信はない。
俺がやっているボイトレのメソッドだって、いろんなボーカルにその話をしてみたけれども俺の説明力がなさすぎてか手応えを得るまでに至ることはほぼなかった。
人々がボイトレに期待することは、即効性そのものであることが多い。
「高い声が出ない!どうやったら出せる?」という質問は、大抵高い声を出すコツとか裏技とか近道を示して欲しいという考えから出されることがほとんどではないだろうか。
残念ながら僕はそんな抜け道を持ち合わせてはいないので、「まずは裏声をうまく出せるようになろう」みたいなぼやかした答え方をしてしまう。誰もアンザッツの分離から始めろなんて答えは求めてない。
(そもそも歌が一朝一夕で上手くなるわけないだろというマジレスをするわけにもいかない)
つまりは僕が言いたかったことは、(歌におけるハイトーンのような)達成や理解が難しいような、聞き手(読み手)にとって全く未知の物事を、注意を持続させつつ程よい解像度で伝えることって難しいよねという話です。
なんかあまりうまい例え話じゃなかったかも。
さらに雑にまとめると人に話を聞いてもらえるようになりたいということです。
最近になって俺と同じ先生の元へ通うようになった後輩が一人現れてくれたのがとても嬉しかった。
サークルの人々がこれを洗脳や布教と呼んでいたのに面白がって乗っかっていたが、ようやくそれが成就して嬉しい。こうやって宗教は広まっていくのか?
とにかく、人を納得させたり、共感を得たりする力をつけたい。そのためにはインプットが沢山必要だろう。
ライブにおけるステージングも同じだ。今まで声にばかり注目してきたが、これからは見てくれも気にしなければならない。人の動きを真似るところから始めようと思う。
六軒は内輪のサークルだから人に見せる演奏をするのが苦手な人が多いと思う。これは僕もそうである。
Fで始まるあのサークル、あるいはそれが属する界隈の人々はステージで魅せることに長けている人が多かったように思う。
ただ音楽の趣味だけは合わなかったから辞めたまでだった。
六軒の現役の方々は是非交流を大切にして他のサークルがどんなライブをするかを、よく観察して欲しい。老害の戯言です。忘れてください。
僕自身ステージングに関しては本当に改善しなければならないことがたくさんある。(MCもひどい)
自分の弱いところを見るのは苦しいがより良い表現を突き詰める上で避けてはならない。がんばりませう
話を戻す。ゼロから文章を生み出すのが難しいように、ベースとなる何かしらの経験がないことには創作活動はうまくいかない。
明日から社会人の身分となってこれまで以上に忙しくなるだろうがなんとか時間を捻出してより良い表現とは何かを追求していきたい。
4月からは1週間に1つくらいのペースで日記的なブログを書こうと思う。時々でいいから、これまでのように思い出を見つめ直すようなこともやりたい。(ほどほどに仕事を頑張りつつ)バンド活動や歌の練習により力を注いでいきます。