![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142526926/rectangle_large_type_2_bb69c31e5ba541120a2419d57313f685.jpg?width=800)
6/1 読書にはまりつつある
自分にしてはかなり珍しく、5月は本を4冊ほど読んだ。
4冊のうち3つは養老孟司の壁シリーズで、残り1冊は「ひきこもり考」である。
この本は、wikipediaで「個人主義」について調べたときに出会った。
その中に「日本の個人主義」という項がある。
明治時代に西欧の文化を吸収する際に、個人主義の概念が流入した。しかし、文化的な心理特性として、最初に関係性がありその関係性の中で自己を形成する日本人の「個人」は、個人を前提に関係性を作る西欧の「個人」とは前提に隔たりがあった[22]。そのため、戦後になり知識層の間から広まった家や世間のしがらみといった古い関係性や規範の呪縛から解放されることが近代化の用件であるとする考えは、関係性を否定せざるを得ないことになったかもしれない(「コジンシュギ」)[22]。個人主義は進歩的な思想として社会運動が盛んだった当時の日本に急速に広まったが、「コジンシュギ」は日本人にとって自己矛盾をはらんでおり、自己責任論や自己肯定感の低下といった社会問題の遠因となっている可能性がある[22]。日本社会が関係性の呪縛から解放されるためには、たとえば、人間関係は個を実現するための糧ないしはサポートシステムであるといった価値観を生み出す必要があるのではないかと考えられる[22]。
見知らぬ人を信頼しない、そして集団の中では他者と違ってはいけない日本社会では、集団の規範と異質な意見は徹底的に否定されるため、個人は創造性を発揮できない状態になっている可能性があり、開放的かつ個人主義的に社会を変化させる勇気を持つことが、21世紀の日本社会が直面している課題である可能性がある[23]。
これが自分に刺さるような内容だったので、出典である先の本にあたってみたというわけだ。
欧米から輸入した価値観であるところの「個人主義」の浸透は必ずしもいいものではなかった。日本の伝統的な教育や文化との相性が悪いのだ。そのミスマッチは一部の人々に対して社会参加への抵抗感を植え付け、その結果として心を閉ざしてしまいひきこもりにつながっているのではないか。というようなことが本の主張だと理解した。
こういった文化的な背景を踏まえて心を論じるアプローチを「文化心理学」と呼ぶらしい。
なかなかにいいインプットが揃った。
次に書く歌詞には5月に読んだ本の内容を盛り込みたい。その前にもっと頭の中の整理が必要だが。
6月も養老先生の壁シリーズの残りと、別の文化心理学の本を探して読みたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?