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文化財とわたし

わたしは仏像がすきです。

わたしは、興福寺の阿修羅像との劇的な出会いから、中3でその魅力の虜となりました。

この仏像への興味が、わたしがのちに文化財について学ぶ最初の入り口となるわけですが、これから発言していくにあたり、わたしがそもそも文化財に関してどういう立場で考えているかということを明記しておきたいと思います。

文化財を10年、100年、更には1000年先へ出来る限り良い状態で残そうとした場合、人々の目に触れる場所で公開することは、破壊行為とも言えます。外気や人の吐く息などに触れ、湿度や温度が不安定な場所での公開は状態を悪くするので、本当に保存、保管だけを重要視するのであれば、湿度や温度をしっかり保った場所に厳重に安置するほうがいいのはたしかです。

それでも公開することの意味は、その価値に一人でも多くの人に気付いてもらう必要があるからだと、わたしは以前多くの先生方に習いました。

1950(昭和25年)に制定された文化財保護法によって、市重要文化財、国宝という価値が定められるようになりました。現場にいて感じるのはこの定義によって、一部の方はこの国宝を探しに寺社仏閣にやってきます。それだけじゃないねん!といつも心で思っています。

例えば、重要な宝物を今から非公開にして、誰の目にも触れないように保管したとします。100年後に公開したらどうなるでしょう?全く事前知識のない〝もの〟は、見つけた人にその辺に落ちている石ころと同じように映るかもしれません。もしかしたら必要ないと判断し処分されてしまうかもしれません。

これは極端な例ですが、あえて公開するというリスクを背負ってでも、公開して知ってもらう必要があります。公開し、価値を知ってもらってはじめて宝物は守られ続けます。

文化が滅びなければ、その国は滅びない

この言葉は、戦乱の地にある博物館の入り口に明記されたものだと記憶しています。文化は、一見すると必要のない、今の時代の言葉を借りるなら不要不急なものなのかもしれません。

しかし、先人の教え、経験によって、わたしたちは何度も危機を脱してきました。二度と同じ過ちを繰り返さないために、人々は過去に学び、そしてこの今を未来に残そうとするのでしょう。そのために、文化を伝える文化財は、守られ続ける必要があるのです。


文化を伝えるための手段は様々です。

博物館美術館での特別展示

写真や映像で伝えられるメディア広報物

近年で一番顕著な寺社仏閣への誘導方法は御朱印でしょう。しかしこれも、本来の役割を無視したスタンプラリー感覚が見受けられる問題点も見え隠れします。あくまできっかけとしては良いものでも、それだけに頼るのではなく興味を持ってもらう方法を探しています。

あくまで主観ですが、年齢を重ねると寺社仏閣をめぐる人が増えたり、クロスワードや盆栽など趣味に一定数の時間を割く傾向が見受けられるように思います。

高齢化社会が進む日本において、そういったターゲット層へのアプローチは必要かもしれませんが、自分から足を運んでくださる方への過剰なアプローチより、若い層への働きかけが必要になっていくように思うのです。


なのでわたしは、

こう考えても良いのではと思ってるのです。

偶像=idol(アイドル)=仏像

寺社仏閣に、自分の推しを探しに行く

それくらいフットワーク軽く考えても良いんじゃないかなって。みなさんの推し活、全力サポートさせていただくために、とりあえずnoteをはじめてみました。