『ルポ 百田尚樹現象』との接近遭遇

1. はじめに

絶滅危惧種のジャーナリストに尊敬の念を込めて(以下、敬称略)。

2. 左右の分断に違和感と危機感を抱くすべての人へ

石戸諭著『ルポ 百田尚樹現象: 愛国ポピュリズムの現在地』を読んで、私は久々に知的好奇心をくすぐられた。あれこれと語りたい衝動に駆られて興奮した。多くの様々なテーマや考察が思い浮かんで止まらない。

本著はニューズウィーク日本版2019年6月4日号特集に掲載された『百田尚樹現象』に加筆したうえで「新しい歴史教科書を作る会」設立の中心人物3名へのインタビューを試み、百田尚樹のイデオロギーと昨今の右派・保守派による歴史観の潮流を比較検討、考察している。

ユニークなのは著者が政治思想ではリベラルのスタンスであるに関わらず、百田尚樹をはじめ、昨今の右傾化に強く影響を及ぼした「新しい歴史教科書をつくる会」設立の中心人物たちの著書と資料を読み込み、直接インタビューも行い、向こう側に橋を架けて現状を紐解こうとする地道な姿勢である。

批判精神とは、相対する高みから一方的に否定を述べる姿勢ではない。著者の多様性と寛容さを重視するリベラリストとしての言行一致、有言実行に深く感銘を受けた。

3. 議論を巻き起こしたニューズウィーク特集記事

私は本著がニューズウィーク日本版の特集記事をもとに執筆されたことを知らずに(その頃、単に私はそれどころではなかった)手に取った。当時、さまざまな人々を巻き込んで論評・批評が活発に起きたようである。

特に、津田大介が朝日新聞でこれを論評で取り上げ、どうやら「百田尚樹は普通の人だ」と誤読した文脈上の内容をそのまま発表したため、著者は朝日新聞と津田に訂正を求めた。結局、互いの主張は平行線をたどり、Web上でリサーチした限りでは津田と朝日新聞は以降、残念ながら本著への新たな批評や論評を積極的に行なっていないようである。

著者は雑誌サイゾー2020年8月号において近現代史研究者・辻田真佐憲との対談(※以下、有料範囲)のなかで「リベラルメディア、アカデミズムの敗北を描いた」とまで述べている。

[特別対談]石戸諭×辻田真佐憲――つくる会から百田尚樹へ。愛国・保守本市場の変遷
https://note.com/cyzo/n/nedfcb629182d

また、2020年9月末までに読者によるブックレビューサイト以外のインターネット上で好意的に取り上げられ、なおかつ検索上位にあった書評は以下の4つである。

最後の産経新聞に掲載された書評は版元が同じ小学館編集部によるものだが、あえて紹介する。なお、毎日新聞の書評でも取り上げられているが、有料会員向けの限定公開なのでここでは割愛した。

『ルポ百田尚樹現象』私たちが知りたかった「社会の見取り図」がここにある!(首藤淳哉)
https://honz.jp/articles/-/45703

【書評】見かけの過激な言動と裏腹にイデオロギーは「着脱可能」 ~『ルポ 百田尚樹現象』(仲俣暁生)
https://fujinkoron.jp/articles/-/2402

世の中ラボ【第125回】百田尚樹の人気の秘密(斎藤美奈子)http://www.webchikuma.jp/articles/-/2168

【編集者のおすすめ】『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』(小学館『週刊ポスト』編集部 間宮恭平)
https://www.sankei.com/life/news/200627/lif2006270004-n1.html

私はこれらを読むまでもなく自称リベラルの不寛容をひしひしと痛感した。

4. 私個人、アンチ百田尚樹だが

私は、政治的にはリベラルと自認している。曲がりなりにも大学で歴史学を専攻した手前、事実を平気で改ざんする歴史修正主義を容認することは決してできない。また、どちらかといえば、アンチ自民党である。

小説はストライクゾーンが極めて狭く、特定の作家しか読まない。尊敬する藤井聡太二冠がいくら「『海賊とよばれた男』に感動した」と評したところで作家・百田尚樹に興味は湧かないし、読む気にもならない。

まして、Twitterで暴言、蔑視発言、ヘイトスピーチなどを嬉々として行うアカウントは著名人だろうが捨てアカだろうが片っ端からブロック、あるいはミュートしている。百田尚樹も無論、その扱いである。

5. 現状をより良くしたい想いの第一歩

政治や行政の質はおろか、私の愛するインターネット空間が劣化の一途を辿り、自らの生活に悪影響が生じるのは心の底から困る。直近の政治トピックでは消費税増税がそうだし、Twitter、Facebookを含めたソーシャルツールの5ちゃんねる化はその最たるものだ。

また、国会議員を名乗るに値しない人々が数々の暴言を吐いたり、選挙制度の欠陥を活用して当選していたり、議員辞職に値する状態でも平気で居座ったり、彼らを支持する層のヘイトスピーチや差別発言で社会全体が毒されるのも困る。このままでは死んでも死に切れない。

本著を読むことで、ますますそのことを強く感じると同時に、私には何の知名度も影響力もなく、もしかしたら本著・本稿に言及すること自体が周回遅れなのでは…と思いつつも、何らかのアクションで現状に抗いたい、そんな気持ちがわずかだが芽生えた。

6. 世も末の議論なき議論

政治にとどまらず、他人の一切に耳を蓋して身勝手な主張を連呼するか、同じ政治思想を共有する内輪同士の雑談のことを議論と称する社会になっているような気がしてならない。

これが2012年12月に成立した安倍政権とともに始まったのか、あるいは東日本大震災と福島原発事故以降の混乱を機にそういった風潮が増したのか、それとも本当は長らくずっとそんな社会だったのだろうか。

私がマスコミや政治に対して多少なりとも物心ついた1980年代からすでに政治家や上級官僚は詭弁を弄する人種であり、たとえば多くのマスコミにおいても特定政党議員の発言を無視することがまかり通っていたのだから、一概に昔が今よりよかったなどと断言はできない。

しかし、それでももうちょっと国や社会について語り合うとき、おかしいことは「おかしい」と指摘しあったり、万事を批判的、懐疑的に受け止めながらお互いの意見を精査したり、意見が対立しても相互理解につとめる態度、相手を尊重する態度はあったように思う。少なくとも、私が大学時代を過ごした1990年代、私の身近なところにはあった。

一方、私と同様の意見と見受けられる自称リベラルの方々のなかには昨今、ネトウヨと五十歩百歩ではないかと思うような発言やリツイートを繰り返す事例、暴言失言失態でのオウンゴールが頻発しており、右も左も有象無象と一蹴したくなる。それがたとえ著名な言論人、オピニオンサイトでもだ。

7. 対立するそれぞれが暗黒面に落ちている

左右いずれの政治家、そして論壇、加えてオウム返しの支持者たちはお互いに同族嫌悪を撒き散らしながら共犯関係で社会を毒し、破壊していると気づいているだろうか。

心理学用語で「シャドー」という概念がある。要するに、自らの決して見たくない、もっとも忌み嫌う抑圧した部分を相手に投影することだ。わかりやすい例を挙げると、スターウォーズでダースベイダーが暗黒面に落ちた逸話である。これと同じではないか、と彼らの生態を眺めていて思う。

8. 批判精神を自らにも向ける、それが理性

そもそも、多様性を是とするリベラルな人々が自分と異なる意見だからといって無視だの全否定だの、実に稚拙ではないかと改めて私は思う。

たとえば安倍政権や与党議員その他対立する人々に批判的なまなざしを向けて指摘、批評、発言、リツイート等を多々浴びせてきたグループの実態を鑑みると、仮に国政選挙で彼らのイデオロギーが達成されたとしても、本当に多様性と公平性のある社会は実現するのだろうか。私には疑問が残る。

左右両極端な彼らを冷ややかに眺めながら、私は人の振り見て我が振り直せ、ということわざを思い出し、つまりは自省心が働いた。それは決して、自虐ではない。私には理性が残っていたのだ。ネトウヨとは何ぞや? 興味が湧いた。寛容さ、多様性を訴える立場で、あまりにも排他的な態度は自己矛盾している。だから、まずは知ろう、と思った。

9. 本著の購入を後押しした3つの動画

長くなったが、ようやく本著を手にする段が近づいてきた。

ある日たまたま、お笑い芸人からNHKのディレクター、そして時事YouTuberへと転身したたかまつななさんと元ネトウヨ・古谷経衡氏との対談を偶然見つけてネトウヨの実態に興味が湧き、拝見した。

ある日たまたま、とは、確かに偶然ではあるが、奇跡ではない。人間の脳は意識的に注意を向けたものに対し、無意識で五感をフルに使って情報収集、その取捨選択を強化するようにセンサーが活発化し、共時性を引き起こす。これはいわゆるスピリチュアリストの大好きな「引き寄せの法則」でも何でもなく、脳の認知がもたらす効果的なはたらきである。

元ネトウヨ論客・古谷経衡が語るネトウヨの儲かるビジネスの仕組み

古谷氏はテレビ等でちょくちょく見かけていたが、元ネトウヨとまでは知らなかった。実に、おもしろい。

古谷氏によるネトウヨの定義「いわゆる保守系言論人の発言を無批判に受け止めて、コピペして返す人のこと」や具体的なネトウヨ像「自営業が多い。それから医者や行政書士とか税理士などの士業。旦那さんが結構いい企業に勤めている主婦、中小企業経営者、なかには著名な経営者もいる」という指摘には納得できた。私も経験則でその傾向を強く感じていたからだ。

次に、たかまつななさんのYouTubeチャンネルで以下の対談を視聴した。正直、私は歌舞伎町には縁もゆかりも関心も行く機会もないが、YouTubeが「これ、どうぞ」とサジェスチョンしてきたので、やや消極的に閲覧した。

夜の街・歌舞伎町の舞台裏をルポライターにきく【石戸諭さん】

正直、私は石戸諭氏をあまり存じていなかった。たまにAbemaTV等でコメンテーターとして見かける程度の印象である。しかし、東京都の小池百合子知事がやり玉に挙げていたホストたちを取材して、

「売れないホストたちは同じ一室で共同生活を送らざるを得ず、つまるところ家庭内感染である」

と新宿区における感染拡大の実態を突き止めたエピソードには、最近では珍しく気骨溢れる若手ジャーナリストがいたのか、と感銘を受けた。

そういった意味では前述の古谷氏も石戸氏も基本的に取材ありきの執筆スタンスをとっている。古谷氏はさらに突っ込んで、いわゆる右派の多くが取材活動もせずに持論を述べて原稿料や出演料を稼ぎ、その支持者たるネトウヨがそれらをオウム返しに拡散しているさまを批判的に指摘している。正直、私はいわゆる左派Twitterの多くも五十歩百歩であると思うが。

だからこそ、彼らの言説には説得力がある。時事YouTuberのたかまつななさんをはじめ20〜30代の若くて志の高い、行動力あふれるジャーナリストあるいは評論家、ルポライターが活躍している姿を嬉しく心強く思うと同時に、私のような40代のオッサンももうちょっと頑張った方が良いのではないか、と自問自答した。

10. 閑話休題

余談だが、私は古谷氏と石戸氏と校友であった。もちろん世代も異なるし、見ず知らずの関係である。だが、古谷氏に至っては同じ文学部史学科だし、石戸氏も法学部出身とはいえ日本近代史の歴史学者のゼミで学ばれていたと知り、嬉しくなった。

もっとも、私は決して勉強熱心な大学生ではなかったので彼らの豊富な知識量・読書量には驚かされるし、学ぶことばかりだ。正直、自らの無知や不勉強を恥じることも多く、せっかく環境も恵まれていたのだからもっと真面目に勉強しておけばよかったと反省しきりである。

彼らが母校をどのように捉えているかはわからないが、少なくとも私は「平和と民主主義」を教学理念に掲げる母校で学んだことを心から誇りに思っているので、これからも彼らをささやかながら応援したい。

11. 本著購入の決意を固める瞬間

話を戻して、先の動画のラストに「次回予告、石田諭が百田尚樹現象を語る!」と出て、ネトウヨのラスボス登場に私は俄然、前のめりになった。しかし、なかなか動画がアップされない…。焦らして本を売る作戦か?と疑念を抱いていたら同氏のTwitterから以下の対談動画を発見した。

百田尚樹という虚しさ 石戸諭さんが見たポピュリズムの今【池田香代子の世界を変える100人の働き人 42人目】

私は通常、1時間もあるような政治経済系の動画を見ない。どうせ一定時間を拘束されて学ぶなら楽しいものが良く、具体的には何かと批判まみれの「中田敦彦のYoutube大学」を観る方がまだマシだと思っている。

しかしながら、この対談動画にはついつい引き込まれてしまった。非常に興味深い話題と驚きの連続で「え?」「どういうこと?」と本著の内容が気になって仕方ない。

結局とうとう、Amazonで本著のKindle版をポチることになったのである。

つづく。

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