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君に存在する私の概念について

例えばの話、私が何気ない会話の最中で仲の良い友人Aちゃんに私は堅揚げポテトのブラックペッパー味が有り得んぐらい好きだと伝えたとしましょう。そしたら、もしかしたらその後の人生でAちゃんがスーパーのお菓子コーナーに行った時とか、誰かがそれを食べているのを見た時、無意識に私の事を思い浮かべるかもしれない。私はそういう、『自分の存在が相手の思考に影響を与えてる』という状態が好きだ。そりゃ好きな人限定ですが。正直えっちだと思う。別に常に考えていて欲しいとか、常に私の為に行動して欲しいとかじゃなくて、普通に生きてて、普通に過ごしていたふとした瞬間に、自分の事を思い出されるのが好きなのです。だって私が堅揚げポテトのブラックペッパー味が好きだって言わなければ、Aちゃんはお菓子コーナーでそれを見たって気にも止めなかったかもしれないでしょう?


なので極端な話恋人に殺されたいなと思います。私の事殺して、一生後悔して生きていけばいいのになと思うのです。私の事が好きで、私が好きな人の人生に生きてる私は必要なくて、でも確かに私が生きていた頃の記憶に執着してくれたらどんなに良いだろうか。殺人が見つかって捕まるかもしれないし、自首するかもしれないし、まぁなんかこう上手いように事が進んで見つからないかもしれないけど、そんな事はどうでもよくて、ただ人の道に背いたっていう淡い罪悪感を覚えながら横隔膜を震わせて、過呼吸になって、その度に私を思い出せばいいのだ。もしかしたら私が居なくなってしまった以上、結婚をして子供も持つ可能性も全然あるわけですが、全て上手くいかなくなってしまえばいいと思うのです。人の道に背いたから、少しでも普通の人生を歩もうと頑張っても、私のせいで全部上手くいかなくればいいのです。私のいない世界で幸せになるとか有り得ないので。じゃあ普通に殺されずに生きていけばいいじゃんと思うじゃないですか、私もそう思います。そういう矛盾を抱えながら今日も健やかに頭をおかしくさせて生きているわけです。

だけど今考えたんだけど、もし恋人が好きな人を殺したって2、3日経てば復活してちょ〜元気ですよって感じのタフな人材だったらどうしよう。それは一大事だ。幸せになられると、とっても困る。



2023/07-25

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