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ブチ切れライフスタイル

長生きしたいなと思う。それはもうあと二世紀どころか、この世の終わりまで生きてやりたいぐらいである。ここ最近まではあと二世紀生きることが目標だったのですが、極めて向上心が高いので末法の世がくるまでにしてみました。一旦ね。多分そのうち地球が終わっても生きていたいと考えだすでしょう。きっと一人で寂しいと思うので、地球を看取ってやろうとか考えていたりする。


本当に病みやすい現代っ子とは思えない程に生に執着しているので、正直自分でもびっくりしているのだけれど、生きたいと思うに至った過程が色々ありまして、要は負けたくないからです。負けている自分が惨めで可哀想すぎて目も当てられなくて、絶対に許せない。嫌いまである。この18年という短い人生の中で、まぁ人並みに嫌な事が起こったりされたりした訳ですが、心が貧弱なせいで何年経っても忘れる事ができず、毎晩どころか常時涙が出たり息ができなくなったり身体が動かなくなったりしてはとりあえず死が脳裏に浮かんでくるんですね。それはもう強烈な。全然長く生きていないので、多分苦痛を和らげる方法が死しか思いつかないんだと思うけど。思春期だった私は「死こそ救済」という言葉の意味を一瞬で超高解像度理解したのです。
でもそんな日々を繰り返していくうちに、どんどん腹が立ってきまして。死ぬことは極論、行動力と思い切り次第だとは思うのですが、それを踏まえて考えてみると、まぁやろうと思えばいつでも死ねるわけで、でもここで死んだら、あまりにも負けすぎやしないかと。私が死んでいるのに、私を苦しめた人達が普通に生きているの、少々おかしくはないかなと。というかおかしいどころか普通に許せなくて、そんな当たり前な事に気づいた夜は泣きながらブチ切れて寝ました。恐らく悔し涙です。本当に許せなくて、その辺から、死にたいと思った瞬間怒りの感情も湧き上がってくるようになりました。なんかこう、死にたい…と落ち込むと、心の声担当の私が『許せねぇなァ…、許せねぇよなァ…!!!』とクラブ(心の中にある)のように段々怒りのボルテージを盛り上げてくる感じです。勿論一時はその怒りで皆殺しにした方が早いのではないかと思いましたが、普通に警察に追われるの訳が分からないし完全犯罪を成立させるよう時間をかけて緻密に計画を立てるのもアホらしいうえにそもそもよくよく考えてみれば人を殺したくはないので、熟考した結果、長寿に落ち着きました。1つの戦争が未遂に終わったということで、そろそろ褒められてもいい。褒めるどころか、国が2兆円ぐらい褒賞金として与えてきても、おかしくはない。


 負けたくないというのは、私が傷つきっぱなしな上に苦痛を与えた相手よりも先に死ぬのが許せないという意味なのですが、実はもう1つ大事な理由というか意義というか最早意地みたいなのがあって、長生きすることで、過去を美化できないかなと思うんです。おばあちゃんになるまでには、色んな事が何とかなってるかもしれないなとか。なんなら笑いながら懐かしむぐらいの経験に昇華されてないかなとか思うわけです。ボケて忘れててもいいけど。
私は叶わなかった時の理想と現実のギャップに耐えられないタイプなので極力何事にも期待しないようにしているのですが、未来というか、ばばあちゃんになった自分に期待していたいのです。

だって、このまま死ぬのまじで惨めだなと思いながら生に固執して這いずり回って生きて、なんやかんや100歳まで生きれたら、もう優勝じゃないですか?私は優勝したい。誰にも負けたくない。長生きすればするほど、私は勝利に近付いていってるわけです。地球を看取るまで生きれたなら、大抵のものは死んでるからねという作戦。
それに仮に100歳になっても過去の事が忘れられなくて辛いままで、何とかなって欲しかった物が何一つ何とかならなかったとしても、そのメンタルで誰よりも生きてるとかもう本当に大優勝で最強で最高だなと思うんです。ありったけの金メダルとか、トロフィーとか賞状を与えたい。あと質のいい肉。というかそこまでいけば、「まじでどんだけ生きても辛いもんは辛かったワ〜笑うける」と大笑いして悔いなく逝けるような気もしたりする。だから今日も明日も明後日も穴という穴からきったねえ水を垂らしてブチ切れながら地を這いつくばって生きているわけです。過去のありとあらゆるものが許せないので。

だがしかしこの考え方は、はちゃめちゃに根性論かつ結果論に固執しており、自分に強要するならまだしも人に薦めたり話そうもんなら場合によっては大地雷を踏む可能性があるため、気安く話せないのでした。
なんたって私より苦しい環境に置かれている人は山のようにいるし、死にたがってる人、長く生きられない人に対してこの話はあまりにも劇薬すぎる。そして恐らくきっと絶対に話が合わない。
まぁ、自分の物差しで人の苦痛を測るのはあまりにも無粋で、良くないことだとは思うので結局のところ分かりませんが。でも、みんな心底ブチ切れて、悔し涙を流しながら生きていけばいいと思うんです。いつか嫌いな奴等も辛かった経験も全部全部馬鹿にして清々しく笑えるように。いつだって怒りという感情は原動力として自分の味方になってくれて、そこら辺のよく分からない人なんかよりもよっぽど信用できることに早く気づいて欲しい。だって本当に、許せませんから。いつか絶対に自分を裏切る可能性のある人間なんか、期待できない。信じられない。許せない。他人を頼って傷の舐め合いをしている場合ではないのです。私は汚く、そして強かに有り得んぐらい長く生きて、地球が息を引き取る様をこの目でしっかりと見届けてあげるのです。
そうすれば、もう大優勝じゃないですか?


 

2024.1.15

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