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倦怠感とバブの味。


小学校高学年の頃、同じクラスのそこそこに仲が良くて、時々公園で遊んでる男の子がいた。以後どんぐりと呼ぶ。もちろん本名じゃないよ。ただ、その子が遊ぶ時に友達と食べるお菓子としてどんぐりガムを持ってきた事があったから、どんぐり。当時お菓子の種類をあんまり知らなかった私にとってそれは凄く新鮮で感動したのを覚えてる。別に座って食べれば良いのに、滑り台滑りながらとか、シーソー乗りながらとか、何かと遊びながら食べていたような気がする。どんぐり曰く、お菓子も食べたいが遊ぶ時間が削れるのも嫌なのでいっそ同時にやれば良いんじゃないかとのこと。どんぐりは活発な性格で、体格も良くて、いつ見ても存在感がありありと浮き出ているような子だった。
それから時が経って中学生になり、どんぐりとクラスが離れた訳だが、まぁ言うてそこまでショックじゃなかった。なんたって中学生。三歩歩けば何もかも忘れるし、馬鹿だし新しい環境にウキウキするもの。実際本当にその通りで、充実した中学一年生を送ることが出来たと思う。色んな小学校から進学したとにかく人数の多い学校だったので、みんながみんな新しい環境に適応するために必死で、自分の事に夢中だった。どんぐりのことなんて、ほとんど思い出さなかったな。楽しかった中学一年生が終わり私は華の中学二年生に進級したわけだが、そこは見事なまでの学級崩壊が起きてしまっていた。私語が酷いから授業は進まないし、机は蹴り倒されるうえ友達はあまりの喧騒にノイローゼになって教室に来れなくなってしまった。最終的にうちのクラスの授業を担当していた新米教師二人はその年で辞めていったし、全くもって救われない。可哀想。私は何もしてないのに毎時間連帯責任で怒られるこのクラスが本当に嫌いだった。
 そんなとんでもクラスのとある昼、ご飯を食べている時(クラスで決まった時間に昼食を取っていた)一つ話題が持ち上がった。「どんぐりって奴知ってる?この前たまたま学校で見たんだけど」どんぐり。どんぐり。知ってる。どうやら聞くところによるとその言い出した男子は去年どんぐりと同じクラスだったらしい。「一年の頃、あいつたまに宿題忘れるからその度にイジってたんだけど、そしたら学校来なくなってウケてたんだよな(笑)まだ学校来てるんだと思って(笑)」
 (笑)、だそうです。皆様。大層おいしそうにご飯を食べるのですね。私も食べますが。
 どんぐりは知らぬ間に不登校になっていた。私の知らぬ間に。こういう時、ドラマなら箸が進まなくなってると思う。小説なら『飯の味がしない』とか『鉛のような食事を取った』とか書いてあると思う。マンガなら苦しそうな顔をした私が居るんじゃないかな。でもそんな事は全くなくて、こんな話を聞きながらでも食べるご飯はいつも通り美味しかったし、味がしたし、そんな話を聞いた所で私の食欲が失せる訳でもないのだ。自分が不登校に追いやった同級生の話を楽しげに話すこいつもどうかしているけれど、この話を誰も拒絶も咎めることもせず受け入れていれて普通に談笑できるクラスはもっとどうかしている。うるさいな。うるさい、うるさい、いつもうるさいよね。
 このうるささで友達はノイローゼになったんだよな。あーあ。
 そのまま何事もなく昼食を食べ終わって、一日を過ごして、また一日を過ごして、何ヶ月も過ごした頃、下校しようとして外に出ると、どんぐりとどんぐりのお母さんがいた。夕日による逆光で顔が見えずらかったけれど、あれは確かにどんぐりで、お母さんが来客用のインターホンを押してる。私に気づいたどんぐりのお母さんが、ニコニコしながら会釈をしてくれたので私も会釈を返したけれど、どんぐりは顔を上げてくれなかった。

 家に帰って、家着に着替えて、テレビを流し見てはお風呂に入る。湯船に浸かる。息が出来なくなって、壁に頭を当てた。お風呂の熱気で惚けた頭で反芻する。     
 どんぐり、制服じゃなかったな。無地で質素な服だった。もう半袖短パンとかじゃないんだ。どんぐりのお母さん、私の事覚えてたんだ。数年前に何回かしか会ったことなかったのに。
ねぇ、私どんぐりの事忘れてたよ、クラスで話題として持ち上がるまで、思い出さなかったよ。私がどんぐりのこと忘れて学校に来てる間、どんぐりはどんな気持ちで過ごしてたんだろう。
そんなベタな、ドラマみたいな感情。不快。ずっとずっと忘れていたのに、小耳に挟んだだけで友達面して傷つくなんて最低だ。あの時、クラスで話題が上がった時、何か言えば変わったんだろうか。言い返してやれば良かったんだろうか。なんで私がこんなカスみたいな気持ちにならなくちゃいけないんだ。ふざけんなよ何なんだよあいつ。腐った芋みたいな顔しやがって。馬鹿にしてんのか。今日だって、どんぐりに声を掛ければ良かっただろうか、どうすれば良かったんだろう。私は何をすれば良かったんだろう。分からない。ふと視線を横にズラすと、湯船に浸かる際に入れようと思い持ってきたバブ(固形入浴剤)がある。『...どんな味がするんだろう。』そう思ったのも束の間、私は無意識に開封し、バブにかぶりついていた。
「おぇえええ!?!!?!?」
バブは不味い。当たり前だ。不味い、不味すぎる。こんなものを食べるのはどうかしている。絶望の味。柚のバブだったからとか そういうのも関係なく不味い。柑橘系で不味いなんてことあるんだ。えっ不味!!!!!!!うぇええ!!!無我夢中にバブを吐き出す。風味も不味い。そんなことを言っている場合じゃない。まじで。舌全体がしゅわしゅわして、身体が本能的にヤバいと思ってるのか一生唾液が出続ける。何をやっているんだ。
 
 一通り吐き終わった後、あまりの不味さに頭が冷えていた。なんでバブなんか食べたんだろ。入浴剤なのに。馬鹿過ぎて笑った。馬鹿だ。大馬鹿者だ私は。私は馬鹿なんだ。言い返してやれば良かったとか、声を掛ければ良かったとか、ふざけてるのはあたしだ。言い返してなんなんだ。声を掛けたとてなんなんだ。全部自己満足なのに。本当は何も変えられないくせに、あの頃こうすれば良かったとか、思ってる時点で駄目なんだ。こんな薄っぺらい罪悪感が、友情であってたまるか。冷めたお湯の水面を冷めた目で見つめて、バブの苦味を味わっていた。

 それ以降どんぐりに会うことは一回もなかったけど、度々学校に訪れるどんぐりのお母さんには遭遇することがあったので何回かお喋りをした。大体、遊んでくれてありがとうね。とか、昔の話だったけど。それでそのまま時間が過ぎて、私は中学を卒業した。高校生になって、幸いにも良いクラスに巡り会えて、少しづつ思い出が更新されていく。無事進級もできて、高校二年生も終わりに差しかかった頃に小学生の頃から付き合いのある友人と遊びに行った。田舎の高校生はカラオケに長居するものなので八時間ぐらい歌っていた。お互いに持ち歌が無くなって、私が選曲に難色を示し出し始めたところで友人がふとこう言い出した。「そういや、どんぐりって覚えてる?この前偶然会って、LINE交換したんだけど。」
驚いた。どんぐり。どんぐりか、知ってるよ。「元気そうにしてたよ。あの〇高の通信に通ってるみたいでさ。ほら、あのビルの近くの。アンタも元気してるかって聞かれたんだよね。」そうなんだ。良かったね。良かった。トイレ行きたいから先歌っていいよと言って、部屋の外に出る。どんぐり、私の事覚えてたんだ。そっか。ねぇどんぐり、私、またどんぐりの事忘れてたよ。
   元気で良かった。高校通えてて良かった。生きてて良かった。良かった、良かっただってさ。最低だ。どんぐりのこと、忘れてたくせに。嫌だ、嫌だ。こんな私大嫌いだ。今までだって、これからもずっと都合の良い事ばかり考えて、勝手に自分を許してこれからも生きていくだろうか。どんぐりに声掛けなかった事も、どんぐりの話題を聞き流した事も無かったことしちゃ駄目なのに。何にもしなかったくせに、図々しい。どんぐりが人に傷つけられて、不登校になった事実は変わらないのに。
そう考えてしまうと身体の中にある歯車が狂ってしまってもう駄目になってしまった。原因はほんの少しの罪悪感なのに。息が吸えなくて、苦しくて、喉に骨が刺さっているような、釘が抜けないようなこの苦しさを、私は知ってる。
記憶というものは本当に面倒で、厄介で、1つ思い出すとまた1つ、2つと掘り起こされていくものだ。あんなに存在感があったのに、あの日の夕方の光に溶け込んでしまったどんぐりが頭の中に鮮明に浮かび上がって、訳が分からなくなった。
あの学校で過ごした日々で食欲なんて無くして、箸が進まなくて、眠れない夜に頭を抱えながら布団に包まれたのも、全部自分のせいなんだ。学校に近づくにつれて息ができなくなったのも、教室にいるとき手も脚も瞼も全部痙攣して震えて、怖くてたまらなかったのも全部自業自得で、全部私が悪いのだ。私がどんぐりの話を聞き流して、無かったことにした事は許されないのに、どうして今は元気で過ごせているという事実だけで勝手に救われた気になっているんだろう。なんで、素直に喜べないんだろう。馬鹿みたいだ。いつも自分のことばっかりで。
 そう思ったって、トイレの鏡に映っている私は別にいつもと変わらなかった。

あ、出ないんだ顔に。やっぱり薄情な奴。そんな事を思った、肌寒い夏の始まりだった。



2023/初夏

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