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キミ達一生他人ね!!👉

人には得手不得手があると言うけれど、それは今まで色んなことが出来てきた優しい人が出来なくて可哀想な人に対して言う言葉だと思う。だってそこで責めてしまうと出来ない人はもっとやる気がなくなってしまうし、良いこともないから。出来る人が出来ない人と今後もいい関係を築けるようフォローしようとした結果出た言葉というか。決して出来ない側の人間が開き直って自分に使う言葉じゃないんですよね。そういう、出来る人出来ない人、上司部下、歳上歳下、みたいな身分だったり個人に備わってる能力だったりで自分と相手が分けられること、それによって使われるべき言葉っていうものが結構あると思うんです。別に誰が言ったとか、誰が決めたわけでもなくて、ただ無意識に人は自分と相手を目に見えない何かの分類に分けて比べてる。この人は自分と似てる性格なのかなとかこの人は自分と同じものが嫌いなのかなとか、人と関わる分だけそういう小さな選別をして誰と過ごしていくのか決めていってると思うし、やっぱみんな人は1人じゃ生きていけないことを頭のどこかでちゃんと理解してるから、自分が多数派に分類されると安心するんだと思う。



私も安心する。正直全然安心する。めっちゃ助かったなって思う。だって多数派に属することは生きていく上で切っても切り離せない事だから。
でも思えば今まで生きてきた人生(大して生きてないけど)で多数派に分類されてきたことがまぁ少なくて。些細な例えを挙げるのならば、年頃の女の子達が好きなイケメンアイドルやらクラスメイトの恋バナやらに花を咲かせている中わたしは母にダンゴムシのメスとオスの見分け方を熱弁していたし、周りの人が愛くるしいペットを飼っている中わたしは勝手に靴棚でこっそりダンゴムシを飼っていた上その事が親にバレてガチ切れされていた。本当に虫というか、その中でもダンゴムシが好きすぎて、百均に売ってある害虫駆除の薬のパッケージにダンゴムシが描いてあるのを見ては本気で涙を流していた。丈の短いスカートを履いているくせに毎日木登りをしていたし、その木がクマンバチを寄せ付ける(藤の木だったので)からといって切り倒された時は毎日木の前で泣いて家に帰っても泣いて一生泣いているかと思ったらクマンバチは温厚だから刺激しない限り刺さないのにと烈火のごとく怒って暴れ回った。そのせいで親からは現代版ナウシカと言われた。あんまり嬉しくはない。

成長するにつれてまぁそれなりに人と関わって過ごしているけれど、人前で有り得んぐらい虫を愛でているわけでもないし自分から孤立しにいってるわけでもないのに(必要以上に合わせようとする努力もしていないけれど)「ちょっと変わってる」とか友達からは「君の世界に入り込めない」とか言われる。まぁこの2つは言われても嫌な気分にならないというか、むしろ面白いんだけど、「道徳の皮を被った何か」と言われた時は面白さを通り越して私の何が相手にそう思わせたのか心当たりが無さすぎて天を仰いでしまった。

生きていて、別にみんなの前に立ってデカイ声で胸を張って指摘するほどでもないけれど、何か違くね?とか何でそうなるんだろ?って違和感を持つことが結構あって、でも周りはそういう感じが全然ないから分からない。もしかしたら私と同じように違和感を持っているかもしれないけどわざわざ確認もしたくないし、確認してそれを肯定してくれたらいいけど、否定されてしまったらただ自分から少数派になりにいった馬鹿な人になってしまう。しかも違和感を覚えていた事が次の日には周りの人に広まっていたらどうしようとか考えてしまう。自分が否定されるのが嫌なんじゃなくて、面倒事を被るのは大体少数派だから本当に気になってしまう。大多数の中に埋もれていれば、必要以上に責められない、詮索されない、木を隠すなら森の中というか。できれば安心して生きていきたいから自分のできる範囲で私は森に入る。みんなそんな感じなんでしょう。だから人は群れるんだ。そうしないと生きていけないから。

でもこれから幾つになってもこういう人の選別をしながら人に潜れて過ごしていくと思うと、莫大な不安と巨大な諦めを感じることがある。自分の周りに分厚い壁があって周りと分断されているけれど、それが自分の心を守っているのか、孤立させているのか分からない。さっきからずっと多数派にいることは安心できるとか言ってるけれどフッと天から降ってくる感じで不安感を覚えてそれが収拾のつかないぐらい膨らんで発狂して泣いてしまうことが度々ある。でもそうしなくても生きてはいけるけどきっと今以上に苦労するんだろうなって思うし、人にまみれて安心した経験だってあるから、結局このままでいることが良策だって気持ちがまとまって諦めるしかなくなる。少数派になる事は恥ずかしいことじゃないとか調子のいい事を抜かす人がいるけど、誰が好き好んで生きにくい環境に行くと思ってるんだと思う。自分が少数派にいる事を誇らしく思っている人を見ると腹が立つし、わざわざ自分は周りとは違うって揚々と主張する人を見ると首を絞めてやりたくなる。どうせ一人では生きていけないのになんで自分から苦しい方に進むんだろう。そんでそういう人に限って「馬鹿な人と関わりたくない」とか「群れるのが面倒くさい」とか言う。それを言っていいのは今まで色んなことが出来てきた人だけなのに。自分がその言葉を言うに足る人物なのかをまるで考えていない。陸に打ち上げられた魚みたいに生きるのが下手なのかなと思う。でもそうやって必要のない選別を毎日して、そういう選別に振り落とされた人達を見下してしまう気持ちが自分の中にがある事が本当に嫌で、森の中に居てもたまに苦しくなってしまう。ずっと、今まで黒歴史ばかりだったからそれがゴマ粒ぐらいにしか見えなくなるぐらい長生きしてやるぞって気持ちと、どうせ一生一人で結局救われないんだからこれ以上生きていてもしょうがないんじゃないかという気持ちを抱えて生きてきたけれど、最近少し疲れてきたのです。これからも人を何かに分類して、人から分類されて生きていかなくちゃいかないんだろうか。噂話をする人はどうしてそこまで人に興味を持てるんだろう。私のこともどこかで噂されているんだろうな。放っておかれたくてわざわざ足場の悪い森に入ってやっているのだから、ちゃんと放っておいてくださいヨ。
貴方達は他人なんだから。

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