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Believe you

ようやくたどり着いた屋根のある場所で。

まったくお互いを知らない私たちが、ひょんなことから、みんなで一緒に食卓を囲み、掃除をして、洗濯をしてという日常を、ただただ一緒に過ごしていた時のこと。

それ以外には本当に何もしなかったし、できなかった。本が数冊あったからぺらぺらとめくったくらいだ。日常とは何だっただろうか、ということを思い出すために用意された時間だったように思う。とにかく時計の針と同じだけ時間を進められるように、今にしがみついていくのに誰もが必死だった。

窓の拭き方を教え合ったりしながら、でもお互いとくに干渉することもなく「それぞれの日常」に専念した。無心で窓を拭きあげながら、自分が自分であることを思い出しているようだった。

日常を過ごすことで、みんながだんだんと精気を取り戻していくのが見て取れた。毎日の掃除にも気持ちがこもって、生活の場をピカピカに磨けるようになっていくのだ。気持ちがいいってこういうことだったよな、と。

そんな生活を半年ほどして、そろそろここを発とうかなという頃になると、人が自ら再生していく力について思っていた。できるのだ、それぞれの力で。ピカピカの窓がそれを示してくれていた。

と同時に、あぁ、人が人の為にできることは殆どない、それは絶望でも諦めでも無力でも何でもなく、それでよかったんだと思った。

今この瞬間、目の前にいる相手を信頼するだけなのだ。誰もが自らの力で生きてゆけるんだと、ここで過ごした時間は教えてくれた。もう何も追い求めなくていい。

「悲しくて寂しくて生きてるのが辛いのにどうしてこんな時までお腹が空くんだよぉ…!」と泣きじゃくりながら山盛りのご飯をバクバクと食べ続ける女の子がいた。ものすごい不器用さで「生きるとは何なのか」を捉えようとしてる彼女を、私は、いまこの場に何の不足もないというような気持ちで見つめていた。

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