砂漠みたいな

東京の真ん中で何者でもない私はひとり、砂漠の砂に足を取られるような生活をしていた。足掻いても足掻いても一向に景色の変わらない渇いた砂漠を、空っぽの心と身体で。

ある冬の夜、富ヶ谷から新宿方面へ山手通りを歩きながら、ふと立ち並ぶマンションに目が行った。一つ一つの窓から光が溢れるいつもの風景。でもその日はなぜか、一部屋ごとにある、人びとの暮らしに思いが向かった。交差点を過ぎ山手通りから左手に路地を入るとすぐ、住宅街になる。

その瞬間、そうだ、ここには人がいる、大きな通りを歩いているだけでは見えないけれど、あの高層マンションにも、路地を入った先に犇めく小さなアパートの群れにも、この光の灯る窓の向こうには信じられないほどたくさんの生身の人がひしめき合って暮らしていて、想像もつかない程に多様な人生があるんだ、、と心がきゅっとした。

住宅街を歩いていると、古めかしいアパートに高価な自転車が置いてあったりするのが、東京という何だか掴みどころの無いオバケみたいな街を映し出していて、そこにはいまにも弾けそうな蕾のような人たちが、光を見失わないように小さく息をしているように思えた。中には自分と同じように砂漠で足掻いている人もいるのだろうと考えが至ると、影を落としていた孤独感がスッと消えていった。

気を抜くと見失ってしまいそうになる生身の人びとの暮らしと、絵に描いたような「東京」が、同じ分量で現実として在るあの街が、わたしは今も好き。

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