見出し画像

だってのはなし

さらっと明るく書けなくてイヤだけど仕方がないね。書き出さないと先へ進めないようなので。きっと誰しもこういう節目があるはず、整理して先に進もうとする時期。

このPeninsulaで終わりにすると決めている。もう背負った悲壮感みたいなの、えーいっ!と背負い投げ、いやちがう、生まれたばかりのbabyにするように、感謝してそっと抱きしめます。納得するまで書いてみて、書き出したその後が楽しみ。

実際私は、オーストラリアのモーニントンペニンシュラというメルボルンから二時間ほど車で行った街に住んでいたことがあって。ずっとずっと続くブドウ畑とワイナリーの点在する街。緑が多くて大好きだった。半島だから海にもすぐ出れて。

ある日そのお家のオーナーに連れて行って貰った海で思いっきり泳いでいて。何だかよくわからなかったけど、ありがとう!!と言って涙ながらにお別れしたのだ。私の一部だった、生きてきた悲しみとは。悲しみと分かり合えた、みたいな、素晴らしい体験だった。水平線と空の境目がわからないような広さの海と空で。涙と一緒にざばーんと流してきたの、ほんとうは。

悲しかったできごとは、痛みを少しでも誰かと分かり合えるようにと与えられたもの。忘れることはできないけど、そこばっかりにフォーカスしちゃう私ではもうないのです。

手放しに喜んじゃう、いまを。そうしたらもう、愛したいとか愛されたいとか、そういうことじゃないんじゃないかと思うんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?