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書くこと

文章を書いて反応を得た一番最初の記憶は、小学生の時に国語の教科書に載っていた「赤い実はじけた」の感想文を、転校したばかりのクラスで発表した時のこと。授業で手を上げて発表するような子供ではなかったから、先生に読んでみて、と言われてすごく緊張しながら読み上げた記憶がある。何を書いたのか内容は忘れてしまったけれど、初恋の物語に対する素直に書いた感想をクラスで発表することがとても恥ずかしくて、その恥ずかしさによって記憶に刻まれているのかもしれない。

インターネットが普及し始めた10代の頃、友人と一緒にホームページを作った。私たちの小さな表現の場だ。友人は創作した物語を載せていて、こんなに自由な発想で上手な文章は自分には書けないなぁと思って、私はエッセイみたいなブログを気ままに書いていた。いまでも大好きな吉本ばななさんやさくらももこさんの作品は、その友人が教えてくれたもので、私を読書の入り口に立たせてくれた。

ここ10年くらいはSNSに文字が溢れかえっていて、文章を書くことから距離を置くようになってしまったけれど、その分、本をよく読むようになったし、編集や校閲が入って整えられた文章は、インターネット上にある気軽なものとは明らかに違って、読んでいてちゃんと自分の骨身に留まってくれる感じがする。

表現することにおいて、いまのところ書くこと以外に手段がないわたし。すぐに飽きてしまう私の手元に残った、唯一のツール。絵を描いたり歌ったり踊ったりすることへの憧れは、いまもずっと。

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