物語と現実

喧騒、日常が戻ってきた嬉しさにはしゃぐ人びと、終わらない土曜の夜、ネオンに照らされた渋谷の街で。飲食店の店員だろうか、大きなゴミ袋を抱えて出てきた男が、酔って気の大きくなっている人々とタクシーの行き交うまあまあ大きな通りに、ガッチャーン!という派手な音を立てて、何の躊躇いもなく手に持ったそのゴミ袋の中身をぶち撒けた。

終電を逃したくなくて足早に歩いていた友人と私は、あんぐりと口を開けた。それでもやはり足は止めずに、今みた瞬間の光景について喧騒に掻き消されないよう大きな声で話した。このような出来事にも足を止めない忙しなさが、渋谷の街だ。

「なんてこと、、」と目を疑う友人、私はその男の行動について全く理解が出来ず、映画の一場面のようにその光景を切り取っていた。「あの男が役者で、演技をしているのだったら」分別などされていないような、缶や食べ残しなどがごちゃ混ぜになった袋の中身を盛大に道へばら撒いた音だった。大きな演技をするよう監督から指示があったのかもしれない。人びとがそのゴミと共に排出した今日までのストレスまでもを、男が一任してこの渋谷の夜に撒き散らしているかのようにゴミは宙を舞っていた。

現実と非現実の境い目がよく分からなくなる。
物語の中だけであってほしいような出来事が目の前の現実として現れて、現実だったら楽しいなと思うことは物語であり。

こんな日常が
私を夢から覚めさせる

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