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現在地

10年以上前に書いたブログ記事を発掘した。その頃から、言ってることの本質的なところは全く変わってない。書く頻度が高かったのと、もっと”情報”を伝えていたから、描写が詳細で文章が上手に書けていて感心した。昔の自分に励まされる言葉もいくつかあったけれど、過去の私は総じて「強くなりたい...!!」と思っていたようで、何度も書き記されていた。自立した立派な女性になりたかったんだなぁというのが見えて、もう十分がんばったので、その船は降りたよ。と絶望の淵にいたあの頃の自分に伝えたい気持ちだ。

今の私といえば社会的にみたら超弱小で、あの頃描いていた立派な女性にもなってはいないけれど(でもズレた望み通りの”印象”みたいなものは身に付いてしまって困ってる)、濁りみたいなものをどんどん濾過して、より純粋な私として生きることのできる状態になってきた。周りにいる人たちと同じような顔をしているのに、どんなに頑張って着飾っても、私は彼らと同じように進むことができない。それが自分であるということを長年かけて認めたのだ。できないから、ついに諦めたというのが正しいのかもしれない。

私にはたくさんの希望があった。あの人の笑顔がみたくて、みんなの幸せを願って、こんな風になったらいいな!どうしたら?と、様々思い描いた。いつでも隣り合わせにある悲しみと闘い、それでも生きていくしかない絶望を見つめながら。悲しみに強くなる傍ら、"(決して悪い意味ではなく)男性基盤の社会の中で闘う女性"という馴染みある理想像に全く近づけずにいた私は、自信がなく、持っていた希望たちを諦めては上手に眠らせてきた。だけれど今は、そぐわない理想に近づこうと幻想を生きていた頃よりもずっと、眠らせてしまったあの希望たちに近づいている気がする。

人はその人自身の命を生きることでしか、誰かを笑顔にすることなどできない。人間を含む自然とは本当に巧妙にできていて、海が海であって、森が森であって、大地が、空気が、それぞれで在ることで互いを支え合う仕組みとして完璧に成り立っている。人間もまた、それぞれの命を生きることでしか、その循環の一部でいることでしか、在れないのだ。そして私が好きになる人たちはみな、その自然の法則のもとに生きている。真っ直ぐに、その人そのものとして生きることで時に困難が訪れたとしても、それが彼らの人生であることを受け入れ、たくましく笑い、その姿でもって他者を励ましている。

現在地。

サイズの合わなくなった小さな鳥かごからはもう出ないとね。

人生の節目に。  20th, Jan 2022.  Hiroko

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