他者との繋がり

20代のころ海外に一年ちょっと住んで、日本へ帰国してから少し間を置いて5年間ほどを東京のシェアハウスで暮らした。同じように海外で過ごした経緯を持つ女性が多く集まった、大きな家で。

外国の方が家族やナニーと住むために建てたという家をリノベーションしたそのシェアハウスは、天井が高く光も風も良く入り、広々としたダイニングがあって、当時たくさんの来客へ振る舞う食事を準備していたであろうキッチンは、大きくてガスオーブンもあってお気に入りだった。

何より立地が最高なのだ。代々木公園や明治神宮の森の緑の豊かさを享受するその場所は、近くに美味しいコーヒーを淹れてくれるコーヒースタンドがあり、住まう人びとが街を愛しているのを感じられて。こんなに愛せる土地が他に見つかるのかな…と思い煩うほど気に入って、内見したその日に契約をしてから気がついたら5年も経っていた。日本のシェアハウスにまさかこんなに長く住むとは思ってなかったけど、他にも長期で住む人が多くいて、住み心地の良い雰囲気があった。

こういった条件だけではない、海外から帰ってきた女性や海外から日本に来た女性たちのと暮らしは、私にとって本当に居心地の良いものだった。朝、玄関を開ける度に「今日もちゃんとしなきゃ!」の意識が発動して身体も心もみるみる縮こまってしまうくらいには生きにくいなぁと感じてしまう日本で、そこは自由にのびのびとしていられる場所だった。それぞれの考えが違ったとしても、お互いの存在そのものが否定されることはなく、思ったことを相手への敬意を持って真っ直ぐに表現することのできる数少ない居所。日本だけではない様々な文化の背景を、経験をもって知る者たち、大人になって、日々の暮らしを通して感覚的に知り合った者同士の信頼関係は、尊いものだなぁと思う。

居住者数が比較的多かったことと、海外のフランクな生活を好む人たちとの暮らしは、心地よい距離感があり、過度な干渉がなくて(だから人数の割にとても静かな家だった)キッチンでばったりと会えば飲みながら何時間でもおしゃべりをして。みなそれぞれの人生を生き、相手の生活に敬意を払い、でもやはりひとつ屋根の下に暮らすという物理的、身体的な繋がりは、女性が一人で生きることで生じる色々なことを表面的ではなく深いところで静かに支え合っているような感じがあった。他者との繋がりをもち、知恵を出し合って生きてきた古くからの人間の暮らしを、極自然に営んでいたと思う。東京のど真ん中でそんな風に生きる私たちは、賢くて社会への適応力はあるけれどルールばかりの世に生きにくさを感じている、というちょっとしたはぐれものたちの集まりで、社会とのズレに疑問を抱きながらも、正しさばかりじゃないよね!と自らの人生を生きようとする女性たちの、すごく良いコミュニティだったなと思う。

流れゆく時の中で、ほんの一瞬を共にし、そしてまたそれぞれの旅を始める代謝という自然の摂理。あの一瞬を共に暮らした経験や繋がりは、いま目の前にはなくともずっと続いているのだろうなということを身体が知っている、という感じがある。みなにとってそれぞれ意味を持った一瞬であったはずで、私にとってのそれは「他者と繋がっている」という生きる土台を築く時間だったように思っている。たとえ再び会うことがなくても、5年という時間をかけて意識にしっかり刻んだこの生きている心地が、消えることはない。バタバタとした朝に顔を合わせればおはようと、帰ってきたらおかえりを、虫が出たら大騒ぎをして、誰かが鍵を忘れたら玄関を開け、体調が悪ければさり気ないケアをし合い、いるんだな、とそっと動物のようにお互いを認識しあうような、そういう生活の些細な積み重ね。風船みたいだった私に生きる土台を齎してくれたのは、家族でもなく、恋人でもなく、一つ屋根の下に偶然居合わせた女性たちとの暮らし、だったのだ。

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