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ウマ娘2期のウイニングライブは祝祭だったという話


はじめに

私の3期の評価は、5点満点で2.2点です。1期は4.3点、2期は4.2点、RTTTは3.6点。3話のゴルシ回でやばいと思い、5話でそれが確信に変わり、ゆっくり腐り落ちていくところを11話でもう一段突き抜けた。こんなに自信持って駄作だと言い切れるアニメ初めて見た。それくらいネガティブな感想を持っていますが、3期のおかげで過去作に対する新たな発見があり、その点は良かったと思ってます。その一つが「2期のウイニングライブが何だったのか」です。

あの有馬記念は「お祭り」だった…?

キタサンブラックが憧れる父親は、ステージに立つたけで盛り上がり、みんなを笑顔にできるスターであると。そんな「お祭り」みたいな景色を自分も作りたいんだと。そして有馬記念のトウカイテイオーがその父親と重なって見えたと、アニメの中で述懐しています(2、7、8話あたり)。

確かに「お祭り」と言われると、通りすがりにふらっと立ち寄ってもとりあえず楽しめるような気軽なもので、スターが出てくるだけで盛り上がるというのは実にお祭りっぽいと思います。でも、あの有馬記念やその後のウイニングライブは、そういう「お祭り」とは違う。そんな軽いものではない。もっと特別な意味を持つ、もっと適当な言葉があるのではないかと。それが「祝祭」だと思うんです。

テイオーを祝う

前回の有馬記念から364日ぶりの復帰レース。しかもG1でグランプリ。相手はその年のダービー、菊花賞勝ちウマ娘をはじめとした錚々たるメンツ。そんな中での1着。すごい。これだけでも十分すごい。観客がどれほど盛り上がったかは想像に難くない。その上、1話から見ている視聴者はテイオーがどれほど苦しんできたかをよく知っており、ラストスパート前の独白があまりにも心にぶっ刺さる。感情がもうぐっちゃぐちゃ。

そういうレースを目の前で見せられたヒト達から溢れ出る感情をどうやって昇華させるか。どうやってこのテイオーのあまりにも劇的な勝利を祝福するのか。これはもうウイニングライブ以外考えられないですね。阪神がアレした後のパレードみたいなもんです。確かに祭り要素はありますが、「祭り」と言われるとちょっと違うと思いませんか?

運命との決着

2期ではもう一つ、1話にもウイニングライブのシーンがありました。1話のウイニングライブの完成度は言うまでもありませんが、ライブそれ自体は最後まで描かれておらず、サビ前のテイオーのアップで終わっています。つまり、あくまでこのウイニングライブは史実のトウカイテイオーと言う運命の”始まり”に過ぎなかった。そしてこの運命はとっても意地悪なようで、どうしてもテイオーとマックイーンを勝負させたくないらしい。

だから、ふたりがもう一度勝負するためにはこの運命を終わらせる必要があった。この1話のウイニングライブから始まった、史実のトウカイテイオーと言う運命と決着をつける必要があった。

テイオーは有馬記念に勝つことで運命と決着をつけた。その"史実"のトウカイテイオーという運命の終わりと、これから始まる”ウマ娘”のトウカイテイオーという運命をつなぐ。最終話のウイニングライブはそういう節目の役割があったと思うんです。

2期1話と最終話のライブのラストシーン

そう考えると、1話のテイオーがスクリーン越しでセピアであるのに対し、最終話のテイオーが直接色鮮やかに映っているところも、”史実”と”ウマ娘”の対比に見えますね。この対比めっちゃいいな。

と言うように、単なるお祝いだけじゃない、特別な意味を持ったこのウイニングライブは、「祭り」と言うより「祝祭」という言葉がぴったりだと思います。

2期最終話 マックイーンのコイントス

そしてこのラストのシーン。ここではマックイーンがスタートのコイントスをしています。私は単にマックイーンが挑戦者だからだと思っていましたが違いますね。読み込みが浅かった。

テイオーは有馬記念を走った。あれだけ多くの人からもらったもう一度走る勇気を、仲間でライバルで親友で憧れのマックイーンたった一人のためにフルベットして。そして奇跡を起こした。じゃあマックイーンはどうだろう。

史実のマックイーンはあの屈腱炎で引退したので、ウマ娘のマックイーンが運命を越えるという事は、そのままターフに戻ってくるという事になる。もちろんあの有馬からラストシーンまでどれほどの時間が経ったのか不明なので、スズカのようにどこかのOP特別に出走して既にターフへ戻ってきた後かもしれない。でもそれじゃ視聴者には、マックイーンが奇跡を起こした事、運命と決着をつけた事が明確に伝わらない。

だからマックイーン自身がちゃんと運命と決着を着けてきたという事を示すために、マックイーンにコイントスをさせた(=次のレースのスタートの合図をマックイーンにさせた)のではないかと思うわけです。

そうやってそれぞれが運命に決着を着けて、運命を乗り越えた先、何のしがらみも無いターフの上でたった2人競い合う。まさに”キミと夢をかけるよ”。そしてその”未来のレース結果は誰にも分からない”、からのうまぴょい伝説。

……美しい。本当に、美しい。

3期のウイニングライブは?


そもそも3期のキタサンはあの後どうしたのだろうか。記者会見では引退後の話をしておらず、DTへの招待状が届いている様子もない。私は招待状が来ても破り捨てろよって思ってたけど、結局どうするのか作中では明示されていなかった。だからレースそのものから引退すると思いきや、有馬出走前のセリフは「トゥインクルシリーズを走るのはこれで最後」だった。

……”トゥインクルシリーズを”走るのは?

レースから完全に身を引くのであれば、”ターフを”とか”これが最後のレースか…”じゃないか?でも商店街ズやなんか突然湧いてきたモブ達は今生の別れの如く惜しんでいるから、やっぱり完全に引退するのか?「引退」をテーマに扱っておいて、引退後の去就をビシっと示さないのは何故なのか?

3期最終話 キタサンがゴール板を駆け抜けたシーン

最初は「ゴール直後にこんな恍惚とした顔するか?」と思った。某所で「ギリギリトイレ間に合った時の顔」と言われ、確かにそう見えるけどwと思った。でもそう見えるという事は「ずっとここまで堪えてきた何かから解放された」時の顔に見えるという事なんだろう。

キタサンに、この最終話までに堪えていたものが何かあっただろうか?勝っても負けてもグランプリに幾度も選ばれ年度代表になってもずっとウジウジし、ちょっと走りがイマイチになった途端スパッと引退を決めた彼女が、一体何を我慢してきたのだろう。

そう言った積み重ねも生涯最後のウイニングライブのような特別感もなく、そもそも本編と合ってなければGlorious Moment!みたいに単純にアガれる曲でもないあのライブのどこに感動すればいいのだろう。

作画は良くなっただろ!って評価をよく見かける。確かにそうかもしれないけれど、ライブ中にキャラがアスリートでも女の子でもなくメスの顔してるのが引っかかったり、先のゴール直後のシーンだったりと、1クール通して「全般的には2期より良くはなったのだろうけど空回りしてる」というのが私の受け止め方。そもそも過去作より良くなるのって、言ってしまえば当たり前ですし。

ライブ自体の盛り上げ方も、2期は自分もあの会場にいる臨場感を少なからず感じたし、今ライブシーンだけ見返してもあふれる感情が止まらない。でも3期にはそういうのが一切なかった。何故かはよく分からないけど、本当に何にも残らなかった。会議で全く関係ないことをペラペラと喋る上司の話くらい何にも残らなかった。

本当に、あのライブは何がしたかったのだろう。

物理的に自分の得意な展開に持ち込めなかったレースを馬の底力と騎手のセンスでねじ伏せた秋天をピークアウトの象徴に仕立てて何がしたかったのだろう。

自分で引き際を選べず、それでもずっとリハビリを続けているドゥラメンテに「ここで去るのが儚くも美しい」と言わせて何がしたかったのだろう。

いっぱい勝ちたい→やっぱりみんなを笑顔にしたい→ピークアウトしたみたいなので自分の走りが出来るうちに引退します→引退レースくらい勝ちたい→勝ちたい×20
……何がしたかったのだろう。

映画「新時代の扉」がどうなるかは分からないし1期2期みたいなものがそうそう出てくるとは思ってないけど、3期より酷いものもそうそう出てこないでしょ(小声

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