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 「環境課、の夜八様と……」「フォスフォロスです」確認しました。と、受付の男性がチェック用の端末をスワイプする。
案内された会議室には2組のイスと長机のセットが並び、白い天板の上では受講者の名札と講習会の資料が行儀よく出番を待っていた。
【電子ドラッグ情報取扱者ー初級技能講習会ー】――とテプラされたバインダーは、若干気が引ける量の紙のハードコピーを力強く挟みこんでいる。

「それでは、時間となりました。皆様お揃いでしょうか」
 スーツの職員の、メガネ――それと尋常ではない量のジェルで固着した七三――が、照明を反射する。
「昨今の情勢におきまして、電子ドラッグに関わる犯罪や、使用者によるセキュリティ・機密情報の汚染が問題となっております。今回の講習では、電子ドラッグの性質や取扱の基本的な部分を学んでいただくことで、電子ドラッグ情報取扱者――こちらですね、初級資格が認定されます」
 職員はポケットからICカードを取り出して、受講者たちを見渡した。
「皆様の職場に、おそらく情報主任技術者ですとか……セキュリティや解析の資格をお持ちの方が、おられると思うのですが、電子ドラッグ情報取扱者の資格を持っている方は多くありません。ですから、色々と役に立つ場面があるでしょう」
 ボーパル先輩は資格とか持ってるのだろうか――夜八の脳裏にうかぶ無数のボーパル、そしてその無法の振る舞い――やめよっかこの話。
「本日の講師は、企業や大学でも電子ドラッグに関わる啓蒙を行っておられる、スルガ先生に担当していただきます」
 小柄な男性にマイクがわたる。え~、という声がハウリングし、その顔に苦笑いが浮かんだ。
「みなさんこんにちは。え~っと、大学で非常勤講師とかをやってます、駿河といいます。電脳とか義体とかを勉強してたはずなのに、気が付いたら電子ドラッグの授業をしていました。よろしくね~」
 よろしくおねがいします。と受講者がまばらに返す。駿河は笑顔でつづけた。
「ちょっとね、今日は古臭いというか、アナログな感じでやらせてもらうんだけど。これね、電子ドラッグのサンプルとかも見てもらいたくって持ってきたからさ。オンライン講習会じゃ配れないからね~!捕まっちゃうから僕」
 もうトシだから、ほんとはオンラインのが楽だけどね。と笑いながら、白髪頭を掻く。
「それじゃあ、退屈かもしれないけど始めようか!あ、あと最後にテストもあるからね」
 講習内容に不釣り合いな軽さで、講習会は始まった。

「それじゃあまず、電子ドラッグ使ったことある人は?」
 ぎょっとする質問に、受講者同士で顔を見合わせる。
「冗談だよ~冗談……まぁ、実は使ってもいい電子ドラッグもあるんだよ」
 駿河がスクリーンを指さすと、過剰にアニメーションするプレゼンテーション資料が投影された。

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電子ドラッグとは、電脳に対して効果があるプログラムおよび薬物のうち、その危険性から法律で規制されたものの事なんだ」
 ド派手なテキストが、暴力的にアニメーションしながら画面内に勢いよく滑り込んでくる。
「対して一般で使用可能なものは、感覚トレースプログラム、医療用電子ドラッグ、義体調整用プログラムなどの名称で呼ばれ区別されてる。……義体化、電脳化してる人は病院で見たことないかな?ほら、ICチップがくっ付いてるタグみたいなやつ」
 駿河はポケットから6枚つづりの青いMICを取り出すと、順番に回して見てね。とフォスフォロスに手渡した。課内で見られるものとは若干違うそれは、ためつすがめつ眺める手の中で、小さく金色に反射する。
「それじゃあ次だ。最初に言ったけども、電子ドラッグは電脳に対して効果がある、”プログラムおよび薬物”……つまり、大きく分けると2種類に分けられる。君たちが知ってるのは多分、プログラムの方だろうね。それぞれもう少し詳しく見てみようか」
 テキストを粉微塵に吹き飛ばしながら資料のページが切り替わった。

電子ドラッグ:プログラム系
 ド派手なテキストが、これでもかと高速回転しながら画面内に着地する。
「プログラム系の電子ドラッグね。電子ドラッグに指定されてる物の90%はこっちの分類なんだ。たぶん、皆に直接関係するのもプログラム系だろうね~」
 一周したMICを受け取りながら、これが終わったら休憩しようか、と続けた。
「電ドのプログラムが電脳に到達すると、そこから特定の神経を刺激する指令を送るんだ」
 スライド上では脳のイラストが跳ね回っている……。スライドを変えた駿河は、あっと声を上げ「ここテストに出るからね!」と急いで元のページに戻ってきた。再び跳ね回るイラストを流し見て、夜八とフォスフォロスは無心でイエローのマーカーを走らせる。
「プログラム系電子ドラッグの恐ろしさってのは、その効果が技術に比例して進化する点にある。あんまり見ないけど、未電脳で感覚トレースや電脳空間の知覚を補助するデバイスってあるよね?」
 スライドにはヘッドギアやクレイドル型デバイスが映し出されている。そのうち幾つかは、課内で見覚えがあった。
「こういうのって脳とのやりとりに限界があって、ボヤけるっていうか……切り捨てが多いんだよね。情報のね。だけど脳の構造解析が進んで電脳化が確立された今は、より高い解像度で、より厳密に、精密に脳の機能へアクセスできる」
 それでもやっぱり、基本的なところは変わらないんだ。そう呟き、スライドを進め……めちゃくちゃに捲りあげられた画像たちは、画面外へフェードアウトしていった。

電子ドラッグ:薬物系
 悪夢のごとく湾曲したテキストがじわり……とフェードインしてくる。
「薬物系の電子ドラッグね」
 ふと時計を見やり、これが終わったら休憩にしよっか。と笑って見せた。そうじゃなくて。
「え~っとコレね、プログラムじゃないからピンと来ない人も居るんじゃないかな?どの辺が電子なのって」
 実際、あまり流通してないんだ。と、スライドを切り替える。なにやらグラフが現れたが……文字が異常に小さい。なんとか読もうとする夜八がしかめ面になる。
「薬物系の電ドは、”マイクロマシンと結合した脳神経”が強く反応する成分で出来てる。普通の脳だと効果が薄かったり、なんの作用も無かったりするものが多いね。だから麻薬みたいな薬物として規制できなくって、電子ドラッグに分類されてるんだ」
 麻薬と電ドどっちにも指定されてる薬物もあるよ、と付け加えながらスライドが切り替わる。電脳化で変性した脳神経と、通常のそれを比較した画像が表示された。続けて、資料には無いマイクロマシンの挙動や性質に関する内容を話しているが……専門の内容に脱線しているのか受講者一同、ぼんやりとスライドを眺めている。
「あ~ごめん!電脳に関する内容をしゃべってると時間無くなっちゃうから、このへんは配った資料とか……には載ってないか。そう、電脳系の資格を取るのもいいよね。やってますよね?講習会」
 スーツ姿の職員が力強く、頷いている。
「次は、電子ドラッグの解析方法なんだけど……」
 約束どおり休憩にしよう、と笑った。
 これより15分間の休憩になります。お手洗いは、会議室を出て右手側の奥へ。
 夜八と、それを真似たフォスフォロスが大きく伸びをした。


 公共施設の喫煙スペース狭いの、なんとかならないかな?というボヤきと共に講義は再開した。
いつのまにか、スクリーン前の卓上にアンドロイドの頭部のようなマシンが鎮座し、無数の配線が引かれている。
「こっからは、この疑似電脳ユニットと本物のプログラム系電子ドラッグを使った実演だ」
 スクリーンにドーナツ形のシルエットが表示された。駿河が手元にあるケーブルを接続すると、白いドーナツは微かに揺らぎながらカラーパレットのような虹色に染まる。
「疑似電脳には色々あるんだけど、これは人工ニューロンを使ったタイプなんだ。電脳化で使われるものと同型のマイクロマシンが組み込まれてて、かなり本物に近い挙動をしてくれる。ごく単純な脳のモデルケースだね」
 固有の自我とか高い演算能力は無いけどね。続けて、視線がスクリーンに向けられる。
「そしてこのドーナツっぽいグラフは、疑似電脳のもつ感覚をプロットしたものなんだ。ちょっと視覚を刺激してみよう」
 駿河は携帯端末のライトを起動し、疑似電脳ユニットの視覚センサ――目を模したそれ――に向けた。するとグラフは細かく揺らぎ、青色の部分を中心に外側へ突出する。端末のライトを消すと、グラフは元のドーナツ形に戻った。

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「こんな感じでね、受けた刺激を可視化してるんだ。……それじゃあ早速、電子ドラッグを使用したときの反応を見てみよう!」
 懐から10センチほどの細長い端末を数本取り出し、それらを疑似電脳のプローブに手早く接続する。
「これは”Good Taste”と呼ばれる電子ドラッグ。通称『さゅ~る』……呼びにくいね~。これ、よくある味覚の感覚トレースプログラムなんだけど……」
 端末を1つ起動すると、ドーナツのオレンジ色を中心にグラフがゆっくりと歪んでいく。
「1つだとこの通り。このあたりが味覚を感じる部分だね。これだけだと全然問題ないんだ。依存性もない。問題は、これを多重起動すると起こる」
 見ててね、と残りの端末をすべて起動した。ドーナツは一瞬大きく揺らぎ、1つ目を起動したときの形に収まっていく。
次の瞬間、グラフの青色が大きく突出し、激しく揺らぎ始めた。時間を経るごとに激しさは増し、削岩機のようにガタガタと震えている。
「多重起動で激しい幻覚症状を見せたため、Good Tasteは電子ドラッグ指定を受けて市場から消えました、と。ちなみにこれ、ほったらかしてると記憶領域にも影響あるから切るね」
 プローブを取り外すと、グラフは小刻みに震えながら元のシルエットに収まっていった。お疲れ様、と疑似電脳をかるく叩く。
薬物系の電子ドラッグは成分解析で判別できる。でも、もし怪しいプログラムを見つけて、それが電子ドラッグかもと推測したんなら……今やったみたいに、隔離された疑似電脳でそれを起動してみるのが速くて安全だ。ネットや他の電脳に繋がった環境は危ないから絶対にダメだよ!巻き添えくらっちゃうかもだからね」
 ここもテスト出るからね。と強調し、講義内容は主要な疑似電脳の規格へと進んでいった……

 

 資料の束と睨みあう夜八を、フォスフォロスがまじまじと見つめる。
「……っは!急に内容濃くなったよね?!疑似電脳のとこから全然分かんなくなっちゃったんだけど……」
 仕様、数式、法定規則……殆どのページに何かしらのマーカーが引かれている上、その内容は難解である。そしてテストに受からなければ資格はもらえないし、安くない受講料と交通費も水の泡である。
 げんなりした夜八と対照にフォスフォロスは力強く
「夜八ちゃん先輩、大丈夫です!」
 と、”図1 全く大丈夫でない”を体現している。テストに受からなければ資格はもらえないし、ボーパル先輩に”何らかの口実”を与えてしまうのである。避けねば。

 あの~。と、後方に座る作業着の女性が手を挙げた。
「テストってどういう感じなんでしょうか?テキストしちゃってたんですけどぉ……」
 と、自身の頭を指す。ああ、と手を叩いた駿河は
「最初に言うと真面目に聞いてくれないかな?って思ったから黙ってたんだけど……映像記録とか録音じゃないなら、電脳のデータ使ってもいいよ!」
 あと、テストのときには資料も見ていいからね。その言葉が、まさしく福音に聞こえた夜八だった。
「それじゃあ最後に確認しよっか」
 最終決戦のごとくエフェクトが盛られたスライドに切り替わる。

「電子ドラッグとは、電脳に対して効果があるプログラムおよび薬物のうち、その危険性から法律で規制されたものの事」

「一般で使用可能なものは、感覚トレースプログラム、医療用電子ドラッグ、義体調整用プログラムなどの名称で呼ばれ区別されている」

「電子ドラッグはプログラム系と薬物系の2種類で、電ドの主流はプログラム」

「プログラム系電子ドラッグの解析は疑似電脳などの隔離された環境でテストする」

 それじゃあ、お昼の休憩が終わったらテストにしよう。言うが早いか、駿河は会議室を出て行った。

 この後、彼が悪ふざけで設問した”配点無し”の計算問題に引っ掛かり、夜八が多大なストレスを持ち帰るのは……また別の話である。

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