理解ある彼くんを失った日々の考察

去年9月まで付き合っていて同棲していた"理解ある彼くん"のこと。付き合いが長くなるにつれて一緒にいることが当たり前になり、どちらかというと家族に近いような大切さが生まれて、徐々に付き合いたての頃のような、男女としての気持ちがなくなっていった。
躁うつ病をもっているのだが、鬱状態で仕事に行けなくなりSSRI漬けの日々を送っていた頃は、彼に軽く身体に触られることすら嫌で悲鳴をあげていた。なのに、一人じゃ寝れないから、一緒に寝てくれとせがむ。その頃から男女としての何かが、壊れ始めていたように思う。
重力が自分の周りだけ10倍になったかのような、自分が200キロくらいあるんじゃないかと錯覚するほどのだるさ、風呂にも入れず、ご飯も食べられず、トイレには這いつくばって行くような生活の中で、女として気をつかうことはできず、ただ決まった時間に気分安定薬と抗うつ薬を飲み、睡眠薬を飲んで無理やり1日を終わらせて、日々を死なないように過ごすことしかできなかった。
大好きなフリルの洋服も、選び取ることができないから、服も下着も靴下もユニクロになった。同じ服、同じ下着、同じ靴下をたくさん買って毎日同じ格好をしていた。
脱抑制の症状が出て甘いものを食べ続けるのに動けないから、体重がだるまのように増えた。
そんなわたしにもかわいい、生きててえらい、まだ働かなくても大丈夫、なんとかなる、無条件で肯定してくれた。それに関してはいまだに感謝でしかない。まあ、お互いに共依存状態だったってだけなのかもしれないけど。
わたしは彼との生活に心からの居心地の良さややすらぎは感じていたものの、胸がそよそよするような、血管の中に小魚が泳ぐようなそんな気持ちをもう一度感じたくなってしまっていた。ひとは、愚かで欲深く罪深いいきものだなあと思う。なんでひとりの人をまっすぐ愛し続けることができないのだろうと悲しくなってしまう。好きなんだけど、好きの形が変わってしまったり、なくなってしまったり、気持ちってほんと思い込んだりしてみてもどうにもならなくて、抗うこともできない。好きではあった。大事だとも思っていた。このままおじいちゃんおばあちゃんになっても一緒に暮らしていくんだろうなと思ってた。そんな未来がうっすら見えてたよ。
別れて半年近くが過ぎ、洗濯をまわす回数も今までの半分以下になった。一人暮らし用の小さな洗濯機で、二人分の洗濯物を洗っていた。
自分のために料理をする意味も見出せなくて、冷凍庫にはミールキットがぎちぎちに詰められていて、効率よく栄養はとれるし、洗い物もないんだけど、「おかえり」の一言と、出来立ての食事と缶ビールを分け合って飲む瞬間も、時々思い出してはさみしい気持ちになる。
一方で、気楽な気持ちもあるのは嘘じゃない。
けれど誕生日に送られてきたLINEを思い出して鳥肌がたちすぎて鳥になって羽ばたけそうになって、一瞬で思い出が美化されてるだけなんだって気づいちゃった。
過去をなんでも美化してしまうのは、美しい人生を歩んでたって思いたかったからなのかな。

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