方南町

今から三、四年前のコロナ禍真っ最中、わたしは新社会人になってすぐ住み始めた社員寮から、渋谷区笹塚のアパートに引っ越した。社員寮は職場から徒歩圏内にあり、(なんなら職場から見える位置にある)、欠員が出たり、何かあれば声がかかるのは職員寮に住んでいる人達からだし、生活してても職場が目につき、近所を歩けば同僚や先輩に会ってしまい、職場の所有物感がずっとストレスになっていたのである。晴れて引っ越しをした際は、所有物、奴隷からの解放だー!という気持ちと、憧れの街渋谷区アドレスになったこと、とても嬉しかったのを覚えている。
新社会人になってすぐ、彼氏と別れて3年くらいずっと彼氏を引きずっており、忘れようと思いTinderはずっとやっていたが、お互いに搾取、飽きたらポイされるようなばかりのやりとりに溢れて消耗、疲れ切ってしまっていた。
コロナ禍のはじめの頃は、ステイホームがほぼ強制的に義務付けられ、飲食業も時短営業や休業など、医療関係者は出かけているだけで「仕事に対する意識が足りない」と、怪訝な目で見られ、表立って飲みに行くことはできなくなっていた。コロナ禍で飲み歩かなくなったのも一理あるが、とある事件をきっかけに落ち込んでしまい、ゴールデン街にも足が向かなくなり、大人しく家で絵をかいたり、ピアノをひいたりしていたが、普段飲み歩いてる人間だ、いかんせん退屈には違いなかった。
Tinderの設定半径を2-3キロに設定し、近所の人とマッチするようにした。その中でお互い顔も出してない名前も知らない人とたまたまメッセージが続き、近所を散歩してみようとなった。その人は方南町方面に住んでいるということで、お互いの家から歩いて中間ら辺の場所まで歩いて落ち合うということになった。30分ほど歩いて、和田堀公園で初対面となった。正直この時は、なんの特徴もない人だなと思った。微妙な距離感のまま、公園を散歩してカモの群れを見守ったり、植物を観察して散歩を続けた。彼は外国から帰ってきたばかりだというので、この辺に住んではいるが、土地勘はないようだった。彼が買ってきてくれた缶ビールを片手に、お互いに知らない土地を、おしゃべりしながら深夜散歩する、これが人生のピークだったかもしれない。今思うと、クロノスタシスって知ってる?、シチュエーションすぎる。
たわいのない会話をしながら歩いていると、方南町に辿り着く。街を徘徊してみる。すると、飲食店が軒並み営業を制限されている中の深夜、外の看板は消えているが、ひっそりと店内だけの明かりがついている居酒屋に辿り着き、一緒に入ってみようということになった。そこがなんだか落ち着くところで、マスターも優しくて、この居酒屋がしばらくお互いの行きつけになる。その日はその居酒屋で飲んで解散となったが、彼の仕事が終わり金曜日の夜は、予定が合えばその居酒屋で一緒に飲んだ。
彼はファッションの仕事をしていて、しかし今までのアパレル男に対するイメージとは全く違い、シンプルに綺麗な見た目をしている人で、イキッてる感じや、ギラギラした感じなどもなくすごいさっぱりしたところがよかった。おそらく販売側でなく、デザイナー側の仕事をしているせいなのもあるかもしれない。家にお邪魔した際は確か大きなミシンがあった。
わたしがその頃芋焼酎にはまっており、とんでもなくミーハーで恥ずかしいのだが、森伊蔵が好きだと話したら、なんとマスターがボトルをプレゼントしてくれたのだ!チェキを貼り付けたボトルに、白いポスカで一緒に落書きをしている時間が一番楽しかったな。
そこでは常連さんの友達も何人かできて、そこで仲良くなったおばさんがわたしの家に蛇を見に遊びに来てくれたりもした。行けば顔見知りの人がたくさんいて、安心して過ごせる場所の一つになっていた。
わたしはいつのまにか元彼のことを思い出す時間も減り、一年近く、彼のことがほんのり好きだったが、思いを伝えることはなく、最後までお付き合いすることはなかった。マスターや、他の常連さんには好きバレしていたけど…。家にも遊びに行ったが、彼女になることはできなかった。今でも時々連絡を取るが、お互いに近所ではなくなってしまい、会うこともなくなった。あの頃仲の良かった常連さんたちも、今はあんまりあの店には行っていないらしい。居場所が一つ、無くなってしまったのだ。今更、なんだかあの時がどうしようもなく恋しくなるときがある。今になって思い返すと、意外と楽しいことをしてきていたんだなと気づく、26歳の春でした。

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