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太陽が照らす光-ルミナスウィッチーズ7話感想-

タイトル通り。ルミナスウィッチーズ7話を見たので感想を書いておこうと思う。体系的な文章が書けてないので総括だけでもいいかなと思ったが、自分にとって熱くなるものがあったエピソードだったので、少しでも書き記しておくことにした。

※当初のタイトルは「ルミナスウィッチーズ7話感想走り書き」でした。

久々の投稿である上に他のSNSもまともにやっていないので近況報告をすると、最近は8/26に発売されたEDF6に明け暮れており、アニメは殆ど見ていない。ストーリーモードを1周したらEDFは一旦サブに回して、以前のスタイルに戻すつもりだが、あと1週間はこの状況が続くと思う。

さて、作品の方に話を戻そう。ルミナスウィッチーズ7話は、未だ自分の存在について曖昧な想いを抱えているジニーが、自らの内にある感情を率直に伝え、一つの奇跡を起こす物語だった。

時を超えて繋がるエイラーニャのエピソードや、宮藤芳佳(シャフト画)の登場など、何かと嬉しい24分間だったが、やはり今回は、ジニーの成長を軸に感想を書いていきたいと思う。

ジニーはこれまで、鏡の少女としての役割を任されてきた。人里離れた村で育ち、何色にも染まっていないからこそ、相手の求める答えを返すことが出来る。偽物の丸天井(キューポラ)が示す美しさや、マナの描く理想のイメージを掴む力は、他者の悩みを解決する原動力になっていた。

その対価として、受信専門というナイトウィッチの制約もある。鏡であるジニーは、周囲からの電波をキャッチすることは出来ても、受け取った想いに自分の感情を乗せることは出来ない。あくまでも受信専門、中途半端なウィッチ。それがジニーの存在を不明確にするものの根源であり、モフィと歩む道にも暗い影を落としていた。

7話の物語は、ジニーにとって一番の親友であるモフィが体調を崩し、その存在を危うくする(=死に近づく)ところから始まる。自らの存在を定義できていないものにとって、身の危険は消滅と隣り合わせの状態であり、伝えるべきことや、成し遂げるべきことを何も残せないまま死んでいく可能性を伴っている。

そんな親友を見て、ジニーはただ神妙な顔で心配することしか出来ない。鏡であるジニーは、苦しむ相手に対しては何も返してやれない。それでもジニーが歩んできた道の中で見つけた光…ルミナスウィッチーズと、現れた黒猫に導かれて、ジニーはアンナの元に辿り着く。

疎開先のロッジに住むアンナは、まさに自らの存在を確立した人だ。使い魔が見えなくても、精霊と触れ合うことが出来なくても、祖母の遺したノートを頼りに治療を行い、心を通わせる。ジニーを導いた黒猫は、偉大な優しさを持った彼女の行動を、ずっと傍で見てきたのだろう。

反面、ネウロイの攻撃を受け、ボロボロになった鍵盤の破片だけを大切に持つヴォロージャは、自身の果たすべき使命と、持って生まれてきた才の違いに翻弄されている。未だ残るピアニストとしての思いと、既にボロボロで逞しさを身に着けた農夫としての腕。生き延びることを優先する中で、ヴォロージャはピアニストとしての人生を諦めつつあった。

そのヴォロージャに、ジニーと同行したミラーシャ、いのりは自分たちの想いを伝える。ヴォロージャの痛みや引け目を理解した上で、ジニーは「ピアノを弾いてほしい」という自らのエゴを優先する。ジニーの発した言葉は具体性を欠いているし、自分の心を適切に解釈できているわけでもない。それでも、想いは言葉に乗って、ヴォロージャの心を動かすことが出来た。

直後に出てくるネウロイは、歌=言葉をウィッチの攪乱に使う。そこにはジニーがヴォロージャに届けたもの(善意)と対照的に、聞かせた相手を傷つけようという悪意がこもっている。意思疎通することすら出来ない、純然たる悪意。美しい音色も歪に変えてしまうのが、ネウロイという存在の性なのだろう。(本編『ストライクウィッチーズ』6話のネウロイは、この壁を超えたかったのかもしれない。)

歌を使って人を傷つけようとするネウロイに対して、ルミナスウィッチーズは9人手を繋いで想いを届けに行く。ヴォロージャにはっきりと意思を伝えたジニーは、ここでも伝えたいという一心で感情を叫び、503の戦闘を助ける。ジニーの起こした奇跡はたった一つの通信でしかないけれど、そのことでヴォロージャのピアノはサーニャの元に届き、彼女の心を癒すことが出来た。その通信は、鏡だったジニーが実は太陽であることを示す理由として、十分すぎるものだったと思う。

…というわけでルミナスウィッチーズ7話の感想でした。あまり今までにない例で、一貫して一人の登場キャラ(ジニー)に焦点を当てて書いてみました。今回はストライクウィッチーズファンなら多分語りたいことが多すぎてエライことになってしまうエピソードなので、出来るだけ内容を絞ろうと。ジニーに関することは、書きたいことが書けたかなと思います。

佐伯監督の追っかけ(ニワカ)として見るなら、今回は『放課後のプレアデス』第4話「ソの夢」を彷彿とさせるエピソードでした。ただ、ピアノを聞く側ではなくて弾く側がピアノから遠ざかっている部分とか、違いもありましたね。「ソの夢」を土台にして1期6話「いっしょだよ」をブレンドしたのが7話かな、という印象です。

ジニーに関しては、最初は『放課後のプレアデス』のすばると同じ「まだ何者でもない主人公」なのかなと思っていましたが、3.4話あたりで「鏡の少女」であることに気付きました。既に何かを持っているけど、まだ自覚しているわけでも、意図して使っているわけでもない、半人前の主人公。

佐伯監督が主人公に置いたキャラクターを一切動かさず、鏡のまま(便利屋として)使うことはないだろうと思っていたので、6話、7話あたりで何か来るかなと。個人的にジニーが好きだったので、待ってたエピソードが最高の形で来たという感覚でした。

「身近な他者の苦しみを知って能動的になる」という辺りは、すばると同じ部分がありましたね。これからも継続的に通信が出来るようになるのか、それとも今回はジニーとモフィが起こした奇跡だったのかは分かりませんが、残り5話、持って生まれた太陽としての素質を存分に発揮していってほしいなと思います。

そして、今回はあまり触れられなかったサーニャ。本編でのサーニャは「影がある」「闇に愛された」少女という印象だったのですが、今回でサーニャの本質はなんだなと。月明りと言ってもいいのかもしれないけど。

サーニャの歌っていた曲を聴いて「自分もよく聞いていた」といったのはジニー、マリア、アイラの3人で、いずれも特有の孤独を抱えて生きてきたキャラクターでした。を抱えている3人を癒し、歌の力で支えるサーニャは、光以外の何物でもないなと。

本編『ストライクウィッチーズ』では、エイラがしつこくサーニャに構い、2期6話で何とか掴み取るまで見えなかった光が、遠く離れたルミナスウィッチーズだとこうも身近に感じられてしまうのは面白いな、と感じます。サーニャも責任感強いから、あんまり他人に弱いところは見せないのよね…

サブタイトルの「太陽の理由」は、額面通りなら『ストライクウィッチーズ』6話で描かれたタロットカードの答え合わせなのですが、この記事を書く上で、やっぱりジニーに照らし合わせてみたいなと。だって主人公は太陽じゃん…?最後にサブタイと絡める発想が出てきて良かったなと感じます。

まだミラーシャの真っすぐで濁りのない感情がいいとか、いのりの控えめだけど観察力の高いところがかわいいとか、ともかく色んなことを書けてねぇ…けど、まあそれはまたの機会に。既に放送されている8.9話を見るのが楽しみです。

画像引用:©2021 島田フミカネ・KADOKAWA/連盟空軍航空魔法音楽隊

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