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熱い心とスポーツマンシップ~アニメ『Extreme Hearts』総評~

妥協のないアニメだった。

スポーツにしろアイドルにしろ、「絶対手抜きはイヤ」という姿勢でベストを尽くしていたし、やや作画がヘニャっても楽しめる要素が沢山あった。

今回は『Extreme Hearts』の描いた沢山の要素の中から、”スポーツマンシップ”に焦点を当てて感想を書こうと思う。

スポーツの世界は特殊だ。「ノーサイド」という言葉があるように直前まで争い合っていた人たちが互いへのリスペクトを表明し、健闘を称え合う。

『Extreme Hearts』の主人公である「葉山陽和」は所属プロダクションに契約を打ち切られるまで、一人で頑張っていた。音楽業界に属し、特に他のミュージシャンと繋がりを持つこともないままソロでの活動を続けていた。

その時に出来た数少ないファンの一人が「小鷹咲希」だ。陽和は地道にソロ活動を続けて「自身を熱心に支えてくれる存在」を手に入れた。それは実際にソロ活動を続けてきた結果として得たものだけど、あくまで「ミュージシャンとファン」の関係であって、二人の見る景色は同じ場所を捉えていない。

1話の終盤、咲希が「私が陽和先輩を頂点に連れて行く」と吠えた時点で、二人(或いは三人)は同じ目線を共有する対等な立場のプレイヤーとしてグラウンドコートに立つ。この時の咲希は真っ直ぐに陽和を見つめていて対戦相手のことは目に入っていないけれど、少なくとも陽和とは”スポーツマンシップ”を共有している。

互いを認め合い、思いやりを持つ心。それは(都築真紀氏の代表作)『魔法少女リリカルなのは』でも見られる部分ではあったが、命を削り合い信念をぶつけなければ得られないものだった。

『Extreme Hearts』では、メンバーや対戦相手を「凄いヤツ」と認めた時点で相手を尊重出来るようになる。咲希は陽和が夢を諦めず、ひたむきに努力する姿に胸を打たれ、その夢に協力することを決めた。”スポーツマンシップ”は戦禍の中に身を投じなくても、自身が相手を思いやるだけで持つことが出来る。

加えて”スポーツマンシップ”は、自身と対峙するプレイヤーとも共有することが出来る。互いに向かい合っているけれど目指す場所は同じで、志も共にするからこそ尊重出来るお互いの心。それは『魔法少女リリカルなのは』では決して表に出せないものでもあった。

『魔法少女リリカルなのは』ではお互いに異なる目的を持ち、別の場所を目指そうとするからこそ命の削り合いに発展する。いくら相手のことを尊重していても、最終的には自分が優位に立っていなくてはならない。例え悪魔になってでも相手を止める。そうしないと沢山の人が犠牲になるかもしれないから。

対して『Extreme Hearts』では、悪魔になんかなる必要はない。グラウンドコートでお互いの信念をぶつけ合っても、試合が終われば”スポーツマンシップ”という一つの繋がりによって同じ目線に立つことが出来る。心の繋がり一つでプレイヤー同士が対等な関係になり、”試合の結果”は重要なものではなくなってしまう。

『魔法少女リリカルなのは』では”結果”が何よりも重要だった。相手の筋を通せば自分が死ぬか、もっと大勢の「大事な人」が死ぬからだ。お互いを想い大切にする心を個人レベルでは持てても、共有するためには”仲間”になる必要があった。

『Extreme Hearts』は”結果”よりも寧ろ”過程”を重視する。”スポーツマンシップ”を持てるかどうかは、自分が相手の心をしっかりと写し取れるか、その一点にかかっている。互いの魂をぶつけ合えば相手の考えていることが分かるし、”結果”がどうあっても納得できる。

その上で、全てのチームはあくまでも勝利を目指すし、自己表現のアイドルだって全力でやる。真剣じゃなきゃ意味がない。この点、最終話のライブなどアイドル描写も全力でやってきてくれたのは本当に良かったと思う。

『RISE』はそれほど自分たちのアイドル活動に拘っていなかったけれど「ライブに辿り着くため」に戦っているわけで、終着点を疎かにしてしまったら描いた”スポーツマンシップ”の魅力も半減してしまう。11話の『Extreme Hearts 神奈川大会決勝戦』の作画は(期待していただけに)少し残念だったけど、そうまでしてライブに賭けた判断を自分は肯定したい。

12話の葉山所長(葉山陽和)がブワっと来ちゃうところなんか、全てをコントロール出来るアニメでやると「クサい」と言われがちな演出だけど、しっかり感情に刺さるように出来てたもんなぁ……やっぱり画作りが上手いというか、”見せたいもの”がはっきりしてる制作チームは強いと思わせられた。

『Extreme Hearts』の良さ自体はEDの気合を入れて試合に入るメンバーのイラストと、葉山社長のギターに合わせて楽しそうに笑うイラストの差に全部が詰め込まれてると思う。キャラクターも可愛かったし、他のチームのメンバーにも魅力があった。ノノちゃんと末宗さんには人を狂わせる力がある、多分。

その上で、自分がさっきまで構想してたのは『令和版リリカルなのは』というタイトルで、幾ら何でもこれは無いだろうと思い急遽”スポーツマンシップ”という作品を見て感じた共通項を抜き出してみた。見切り発車の執筆だったけど、書いたことが伝わっていたら幸いだ。自分ももう少し精査して『Extreme Hearts』のことをもっと深く語れるようになろうと思う。

それでもやっぱ『魔法少女リリカルなのは』の時代と比べると「平和になったなぁ…」と思わずにはいられない。重火器(違)持ってドンパチしてた女の子たちが、今や最先端のギア履いてスポーツだもんな…

『魔法少女リリカルなのは』では軍人や国家公務員だったキャラクターたち(の写し鏡)も『Extreme Hearts』ではみんなエンタメ業界に所属していて、スポーツへの情熱に心を燃やし、アイドル(若しくはミュージシャン)活動で自分を最大限に表現している。

敵として出てくるキャラクターも、その関係者もみんな誇らしげに舞台に立っているか、そうでなければ笑っていて、苦しんでいたり破滅の道へと足を踏み出している悪役はいない。とても幸せな変化だと思う。そんな幸せな物語がこれからも続いて言ってくれたらいいな、とも思う。

とりあえず一つの幕を下ろした『Extreme Hearts』。クロスオーバーの多い『魔法少女リリカルなのは』のことだから今後コラボすることもあるのかな。ミシェル・イェーガーさんはやっぱりフェイトちゃんに近いキャラクター何だろうか。銀髪だけど…

もっと見たいキャラクターも、続きの見たいストーリーもある『Extreme Hearts』。まだ少し展開は続くようです。今後も楽しみ。

画像掲載:© PROJECT ExH

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