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note更新休止のお知らせ

昨日の記事では明言しなかったが、一月末のTwitter休止に合わせてnoteも更新を停止することにした。

理由は二つ。

一つはnoteをTwitterの延長線上で使っていたからである。このアカウントは基本的にTwitterで知り合った方々に見てもらえるような話題、内容に重きを置いていた。こちらを続けると「潜在的にフォロワーと繋がっている状態」になってしまう。それでは意味がない。

もう一つは、noteも少なからずSNSの要素があるからだ。個人的に「ブログ要素の方が強い」と感じているのだが、公式の示すプラットフォームはSNSになっている。

確かにカジュアルな意見表明が出来ること、noteの利用者に生じている特有の連帯感、見出しや太字を使って「感情に訴えかける文章」を作れる点などはSNSに通ずる。少なくとも営利目的(WordPress等)でない全くの個人ブログに比べると、コミュニケーションに比重を置いている作りなのは間違いない。

(私にフォロワーは殆どいないが、全く見知らぬnoteのユーザーにさえ、どこか親近感を抱くことが多かった。但し営利目的で利用している人たちは別だ。他のユーザーはどのように感じているだろうか)

そういったツールの全体から距離を取る必要がある。徹底的にやらなければいけない。何故なら、SNSを通じて作る「コミュニティ的」な生き方が自分に合っていないと気付いたからだ。

古今東西、人間というものはコミュニティを作ることで生活を続けてきた。まあ一部例外はあるものの、とにかく私もコミュニティに属し、多くの人と通じることが幸せなのだと考えていた。その為、SNSの振る舞いも出来るだけ愛想良く、他人に受け入れられるような自分自身になれるよう努めてきた。

その努力が身を結んだのか、ここ1.2年はグッと「他者に肯定的に受け入れてもらえる経験」が増えた。何故好ましい変化が起きたのか、本当の理由は分からない。私の周りに(スルースキルを身に付けた)「大人な人」が増えただけなのかもしれない。とりあえず主観的に見て、コミュニティに受け入れていただく頻度が増えたのは事実である。

多くの人に肯定的に接していただく中で、新しい繋がりが出来た。応援してもらえることもあった。そして私は幸せに……ならなかった。

寧ろ、コミュニティに属することが自身の成長を止めてしまったようで、嫌悪感を覚えることすらあった。

この時ばかりは流石に「嘘だろう」と自分自身を疑いたくなり、暫く徹底的に自身の心情を観察した。そして結論が出た。私は集団の中で生きることを望んでいない。

そう、望んでいないというのがポイントだ。私は集団の中に馴染めないのではなく、馴染みたくないのである。朱に交わること自体を拒んでいる。

一応、私の出した結論はこうだ。「個人的な繋がりを深めて、五人程度の親密な関係があればいい」。これも多すぎると良くない。更に言えば、一対一の関係であると望ましい。

(一対二が限度だ)

これは私にとって衝撃的な事実であり、出来れば拒否したい気付きであった。SNSを始めてもう十年になる。十年追い求めた理想の生活を心の底では望んでいなかったと言われても、素直に納得出来るものではない。

また、自らの無知により、多くの人を巻き込んでいることにも気付いた。結果的には(私に対して)肯定的に接してくれた人々を騙してしまった。これは素直に反省が必要である。明言しておくが、彼らは悪くない。おかしいのは私の方だ。

しかし、自分自身の要求に気付いてしまった以上、行動しないわけにもいかない。これ以上「被害者」を出すわけにもいかないのである。そして大方の想像が付く通り、この先は茨の道だ。生きる為には実力が要る。自分自身の生き方を他者に納得させるような技量が不可欠だ。

念のため言っておくが、私はこの生き方を曲げるつもりはない。自身の要求に従い、その行動が(運悪く、時節により)認められないのであれば、この世界から速やかに消え失せるばかりである。 

サムネイル画像には慣れ親しんだお台場の景色を使った。撮影したのは今日だ。東京ガーデンシアターで開催されるライブのために友人が有明に来るというので、私も足を運んでいた。

(この写真は彼を見送ってから撮った)

色々書いたが、改めて繰り返すと、今までSNSを通じて関わた人に対する不満はない。彼らの生き方に「正しい」とか「間違っている」とか説教を垂れるつもりもない。ただ、私と彼らの生き方は同じ方角を向いていないのかもしれない。

もしそうであったとしても、私は貴方たちの生き方に対して(生を全うする上で出会う様々な困難を乗り越えられるよう)エールを送っている。押した手の温もりは残り続ける。
それを忘れないでほしい。

『ODAIBAゲーマーズ』
この看板を見守る視線も短期間で変化した
誕生日祝いの展示
掲載されるのは今が最後かもしれない
東京国際クルーズターミナル駅
奥には役割を終えたばかりの『船の科学館』

嬉しいことに、ここ二年程度は感謝の声を掛けていただいたり、お褒めの言葉を頂戴する機会が多かった。その中には何てことのないお世辞も含まれるかもしれないし、総数で言えば"今を時めく声優が一日で集めてしまう"くらいの大したことのない数字なのかもしれない。

それでも私は一つ一つの言葉に大層喜んだし、他者から肯定してもらえる自分であることに重い価値を置いていた。その一方で自らの愚かさを恥じることも多かった。二年間のうち八割は「自らの無能さに驚愕するため」に使ったと言っても過言ではない。自らが優秀でないことを知った。今後は思い上がりがあったとしても、決定的に何かを踏み間違えないよう祈りたい。

始まったのなら、貫くのみです!

ただし道の途中で一つ気が付いたことがある。その気付きと共に、少々意地悪なアドバイスをしてこの文章を締めたい。(諸事情により隔離)








これより先、思想的な文章のため注意

無許可での引用・転載を控えてください
読む際は必ず最後まで読んでください






ブラウザバックを推奨します






貴方の人生に悪影響を及ぼす可能性があります






ここから先の文章は自己責任で読んでください







もし貴方が自分自身の人生に満足していないのであれば、出来る限り苦しみを味わい、絶望を繰り返すことだ。幸福はヒントを与えてくれるが、それ自体は血肉になり得ない。「人生を終わらせてもいい」と感じるほどの苦痛が重要だ。それが貴方を(より強く安定した)幸福に導く原動力となる。

光を目指し息絶えた日々が 何度も僕を助けてくれるでしょう 誰の手にも届かない場所を  鮮やかに照らすよ

tacica / HELLO FAME

これは私の人生哲学であり、文章を読む貴方たちと過ごす時間の中で見つけた答えだ。この羅針盤が示す方角へ向かえば、幸福を掴み取れると信じている。


アドバイスを実践する人に必ず守ってもらいたい注意点がある。この行動の本質は「幸福を得る為に苦痛に耐える」というものだ。苦しみを味わう為だけに苦痛に接してはいけない。この違いは些細なものだが、両者の微妙なニュアンスの違いを理解出来るようになってから行動に移してほしい。

また、自傷行為は絶対にしてはいけない
書いてある内容は「苦しみを紛らわせる」ものではなく「苦しみを味わう」ためのものだ。必ずしも肉体的な損傷を伴う必要はないし、死に接近するリスクを取る必要もない
ちょっと蹴躓いた時に「ズーン」と沈むくらいでもいいのである。
教科書を忘れたとか五分遅刻したとか、どんな些細な内容でもいい。
自分の中の不快な感情と向き合ってみるだけでも効果は十分に発揮される

注意深く日々を過ごしていると、自らが一日のうち驚くほどの失敗を積み重ねていることに気付くはずだ。その時点で貴方は前進を始めている。
普段カラオケや長風呂で発散するストレスに可能な限り接してあげるのが重要なのだ。必ず効果は出るので、まずは一日五分から始めてみてほしい。実際にやってみて危険な兆候が出た場合、即座に中止して構わない。一つの方法が全ての人に効果をもたらすとは限らないからだ。
(人によって効き目の良い薬と悪い薬があるのと似ている。医学に習ってリスクとベネフィットの考え方を持ち込むと良い。得られる利益に対してリスクが上回る or 強すぎるようであれば、記憶からこの方法を消し飛ばすべきだ

対人関係のストレスや職場での悩みのように重い内容に切り込むのは、十分にこの方法が身に付いた後でも遅くない。その際も生じるリスクには気を付けてほしい。
この方法は「常に安心・安全」とは言えない。サンプル数「1」の安全性が確立されていない民間療法である。私の気付いていない副作用が存在する可能性もある。いつでも落とし穴があると考え、普段以上に体調に気を付けつつ、自己責任で取り組んでいただきたい。

貴方が重い鬱病を患っていたり強い希死念慮を感じている場合、そうでなくても大きなストレスに晒された直後は、十分に休息を取ることを優先し、絶対にこの方法を行わないでください

⇒ ストレスはコップの水に例えられることがあります。溢れる状態を100として、「今はストレス度40%だから大丈夫」「70%だからやめておこう」と数値化するとコントロールしやすくなります。


身を滅ぼしてしまっては意味がないので、用法容量を守り、楽しい人生を送っていきましょう。それでは、またいつか。


(注意事項を書いた後に読み返して「思想強すぎ……こわ……」となったので隔離しました。私の中では矛盾のない最強の思考法なんですが、こうやって表に出してみるとヤバいですね。個人向けに尖ったチューニングを施されて致命的な欠点も放置されてる感じ。もう少し客観視が必要になりそうです)

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