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「笑顔のカタチ」と天王寺璃奈

今回は虹ヶ咲スクールアイドル同好会第6話『笑顔のカタチ』について考えることにした。璃奈ちゃんは諦めない精神力を持った努力家で、思考パターンが自分とよく似ている。似ているものは見えにくく、また余計な逡巡が邪魔をして上手く読解出来ないことが多いのだけど、ちょうど時間が取れたので、一つ一つ読み解いてみようと思う。それでは本題に入ろう。

このエピソードはAパートとBパートで描かれる内容が大きく異なるものの、璃奈ちゃんの視点はメンバーに思いを打ち明けるまで一貫している。この点を押さえておくことが、話を理解する為に重要である。

まずAパートでは、璃奈ちゃんのモノローグを軸に話が進み、彼女のひたむきさや成長に対する実感が多く描かれる。反対に、周囲が彼女を評価したり、具体的に何が変わったか述べるシーンはほとんど出てこない。

更に、Aパートの璃奈ちゃんは前向きなモノローグと裏腹に、難しい表情で俯いてしまうことが多い。これは彼女の自己評価が(実際には)低いことを示しており、現状の「変われた自分」という感覚が、宮下愛/スクールアイドル同好会との出会いと、スクールアイドルの活動を通じた『主観的な実感』のみに依拠している、不安定なものだということが示唆されている。

Bパートでは「何も変わっていなかった」現実を知り、璃奈ちゃんは部屋に閉じこもってしまう。しかし、Aパートで描かれた成長は、客観的に見ても彼女の努力として評価できるものである。では、何故彼女は鍵をかけてしまったのだろうか?

この答えは、璃奈ちゃんの「沢山の人と繋がりたい」という思いと、「笑顔が上手く出せない」というハンディキャップの相関関係を見ると読み解くことが出来る。順を追って、彼女の考え方を見ていこう。

Aパートの中で、璃奈ちゃんは映像の”天王寺璃奈”について、「あれは本当の私じゃない」と発言している。他にも、冒頭の愛さんの発言や一緒に遊んだ後の侑ちゃんの笑顔、ライブが決まった後のみんなの協力を受けても、彼女はまだ自分と周囲の関係を「繋がったもの」とみなしていない。

つまり、実際には自分の思いが通じているのに、璃奈ちゃん側が交信を途絶してしまっている。この理由はBパート、段ボールに閉じこもってしまった璃奈ちゃんが、みんなに隠していた恐怖心を吐露するシーンを見ると上手く理解できる。ここは重要な部分なので、発言を丸ごと引用する。

私は、何も変わってなかった。昔から楽しいのに怒ってるって思われちゃったり、仲良くしたいのに誰とも仲良くなれなかった。今もクラスに友だちはいないよ。全部私のせいなんだ。勿論、それじゃダメだと思って、高校で変わろうとしたけど、最初はやっぱりダメで。でも、そんなときに、愛さんと会えた。スクールアイドルの凄さを知ることが出来た。もう一度、変わる努力をしてみようって思えた。歌で沢山の人と繋がれるスクールアイドルなら、私は変われるかもって。でも、みんなはこんなことでって思うかもしれないけど、どうしても気になっちゃうんだ、自分の表情が。ずっとそれで失敗し続けてきたから。「ああ、ダメだ。誤解されるかも」って思ったら、胸が痛くて、ギューって。こんなんじゃ、このままじゃ。私はみんなと繋がることなんてできないよ。ごめんなさい。 ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第6話『笑顔のカタチ(⸝⸝>▿<⸝⸝)』 -天王寺璃奈(CV.田中ちえ美)

ここで語られるのは、笑顔を作れないために誤解され、人と通じ合えなかった過去が、「笑顔でないと想いを伝えられない」というプレッシャーに変わってしまった顛末だ。

笑顔でないと、みんなと想いを繋げることは出来ない。だから、どんなに相手が好意を持ってくれていても、璃奈ちゃんは自分から笑顔を引き出せない限り、「繋がった」という実感を持つことが出来ない。

その為に、ガラス越しに映る自身の硬直した表情を見て「何も変わっていなかったんだ」と感じ、その事実に絶望してしまった。部屋で歩夢とかすみんの動画を見る時、駆け付けてきたみんなを迎える時、彼女は画面越しに”アイドル”を見ている。

アイドルの条件は笑顔を作れること。そうやって表情を表すことで、人と繋がること。

部屋の中に踊る空想の仮面は、彼女の考える”アイドル”の条件を満たしていない。彼女の「沢山の人と繋がる」という目標は、笑顔を作れない璃奈ちゃんにはどう足掻いても達成することが出来ない。だから彼女は鍵をかけ、部屋に閉じこもってしまったのだ。

ここまでの璃奈ちゃんの物語は、彼女の主観に基づいたストーリーとなっており、他者の視点が殆ど描かれない。いや、実際には描かれていたものの、璃奈ちゃんは自身が笑顔になることに固執していて、その視点が殆ど目に入っていない。

引用部の、段ボール越しに彼女が心境を吐露するシーンから状況が変化し、璃奈ちゃんは各メンバーの言葉を受けて、想いを伝えるために必ずしも笑顔は必要でないことに気付く。

6話までの璃奈ちゃんは、他のメンバーに一度も笑顔を見せた経験がない。最も彼女の核心に迫った心情の吐露も、段ボール越しにしか行えなかった。

それでも、メンバーは十分に璃奈ちゃんのことを気にかけていたし、真剣に彼女のことを考えて、想いを受け止めてくれていた。

その事実に触れた時、璃奈ちゃんは想いを繋げること、”アイドル”であることは、一つ壁を挟んだ先でも十分に可能であることを理解する。この気づきによって璃奈ちゃんは空を見上げられるようになり、壁を挟んだまま繋がりを得る方法を思いつく。

見事なのは、Bパート以降の璃奈ちゃんが、”一度も”メンバーと顔を合わせないことだ。

真っ暗な世界にいたからこそ、世界が広がりに満ちていることに気付く。繋がりを得るためには、必ずしも自身の表情に拘る必要がないこと、寧ろ自分自身においては、表情を見せない方が適切であることを知る。

その上で、一切彼女の顔を見ていない他のメンバーも、「頑張れ」とエールを送る。この場面、璃奈ちゃんの「もしかして」をステージの前に証明してしまう凄いシーンで、既に璃奈ちゃんとメンバーの想いは繋がっている。

しかも、ライブの方はもっと凄い。璃奈ちゃんのステージは最大限まで奥行きを使い、CGに出来る映像表現をフル活用した彼女らしさ全開のライブなのだが、このエピソードで取り上げてきた「笑顔に頼らなくても、人と想いを繋げることは出来る」というテーマを証明するとともに、「璃奈ちゃんは笑顔が無くても十二分にかわいい少女である」ことも全力で訴えてくるのだ。この点が如何に凄いかを最後に説明したい。

今回のエピソードでは、ハンディキャップを乗り越えるために”装具”が使われている。言うまでもなく、これは璃奈ちゃんボードのことを指している。この展開には、一つの疑問が挟まれてもおかしくない。つまり、「ありのまま、素顔の璃奈ちゃんを認めることの方が、より必要なことではないのか?」という考えだ。

これに対して、MVは「素顔の璃奈ちゃんは最高にかわいいですよ!」と全力の可愛いシーンを挟んだ上で、それを理解するための補助具として璃奈ちゃんボードを使っている。

確かに璃奈ちゃんは素顔のままでもかわいいが、やはり人と違うということで、彼女の「繋がりたい」という願いは簡単なものではなくなってしまう。

だからこそ、璃奈ちゃんにある表情以外の魅力をまず最大限に引き出し、「繋がり」を作った後に、素顔の璃奈ちゃんも実際には感情表現が出来て、想いを伝えられる女の子なのだと理解してもらえればいい、という手法を取っている。だからこそ、璃奈ちゃんは「繋がった」という実感を得た時に、「璃奈ちゃんボード『にっこりん』」と、自身の半身であるボードの功績を讃えたのだ。

しかしアニメーションで描ける時間には幅があり、視聴者は璃奈ちゃんの”今後”を見ることが出来ない。だからMV中に最高にかわいいシーンを用意して一緒に分からせてやろう、という力技を使ったのが、『ツナガルコネクト』の恐ろしいところなのだ。

この解説を踏まえてみると、MVが最速で100万回再生を突破したことも頷ける、虹ヶ咲屈指のライブパートだったことが分かるだろう。この文章を読み終えたら、是非MVを見返してみてほしい。改めて璃奈ちゃんの可愛さに触れるのは勿論、きっと新しい気付きもあるはずだ。

ここからは余談だが、6話で璃奈ちゃんが心境を吐露する時の、十人十色なメンバーの表情が好きだ。

心境を自身にトレースして掴もうとしているであろうしずく、心配そうに見つめる歩夢、お姉ちゃんとして、壁をつきながらも気にかけている彼方、どうしてこの子が苦しい思いをしなければならないんだろうと、怒りにも似た表情のエマ、直前の同情的な表情から、真っ直ぐな目に変わる果林、真剣に見つめるせつ菜、侑、かすみ、愛。

それぞれに個性があって、人の大切な部分に触れた時に、各キャラクターがどんな表情をして、何を考えて話を聞くのかよく分かるシーンだった。後の励ましも含めて、ここが6話の個人的ベストシーンだったかなと思う。生徒会長、侑愛と同じように真っ直ぐ人の話を聞けるかすみん、本当に人間が深い……

以上でこの文章の締めくくりとするが、いかがだっただろうか。自分の提供した視点が少しでも作品の理解を助けるものとなり、新たな「繋がり」を生み出すことを切に願っている。最後に一言。璃奈ちゃんかわいい。ご清覧ありがとうございました。

画像引用元:©2020 プロジェクトラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

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