チャップリンのスピーチを読んで心がとても痛い
~スピーチ一部抜粋~
私たちは生き方を
見失ってしまったのだ。
欲が人の魂を毒し、
憎しみと共に世界を閉鎖し、
不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
私たちはスピードを開発したが、
それによって自分自身を孤立させた。
ゆとりを与えてくれる機械により、
貧困を作り上げた。
知識は私たちを皮肉にし、
知恵は私たちを冷たく、薄情にした。
機械よりも、
私たちには人類愛が必要なのだ。
賢さよりも、
優しさや思いやりが必要なのだ。
そういう感情なしには、
世の中は暴力で満ち、
全てが失われてしまう。
今から50年以上も前に、現代人にこんなにも刺さる言葉が発せられるというのはとても驚く。
このスピーチは1970年らしいので、工業社会の全盛期くらい?
資本主義が始まって50年くらい経ち、格差が生まれ、「金が全て」の殺伐とした世界に染まり終えたくらいの時期なのでしょう。
今になっても、このころから何も変わってないし学んでいない。
むしろ資本主義による悲惨な状況がより深刻化しただけとも思える。
資本主義が世の中を便利にさせたとか科学を発展させたのは事実かもしれないし、これこそがあるべき姿なのかもしれないけれど、私は今の社会はあるべき姿であるとはどうも思いにくい。
私は「XX人分の人件費を削減できるシステム」を開発したりもするエンジニアである。
これは社会にどういう影響を与えているのかというと、資本主義の言葉を使うと
経営層(ブルジョワジー)をより肥やしやすくし、
従業員(プロレタリアート)から仕事を奪い、
格差を拡大させているということに他ならない。
本当は格差のない、思いやりのある温かい世界であってほしい。
知識はそういう世界を作るために使いたい。
だけど現代で生き抜くためには、ブルジョワジーの味方に付いて労働をするのがコスパがいいという事実がある。
現代で私のように特筆した取り柄もないようなただの中年男性がそれなりの生活をするためには、性善なる心は殺して、賢いふりをして、機械を作っていくしかない。
そういう偽った状態が普通なんだ、と心が麻痺しつつさえある。
麻痺させた方が罪悪感から逃れられて楽だからだろう。
チャップリンのこのスピーチは、私の麻痺している心に「本当に大切なもの」を思い出させてくれた。
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