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じぷしーはうす 〜旅人の家〜

興味がある/ない、は置いておいて、カレーの隠し味について書こう。
人生は心の旅。誰かがそう言った。
音楽人の最後の砦として開かれた"祇園 GYPSY HOUSE"
ライブハウス業界へ一石を投じれないかと旗を揚げたが、
"この世は本気で口に出している人間がいかに少ないか"
を知るための食材としかならなかった。
しかし、DJ、クラブ業界のお茶を濁すには効果があった。いや、もとい、言い方を変えよう。お湯を注いだ。特別なフレーバーになった気がする。新たなティーの完成だ。

話を変えよう。写真に見覚えある方もいるだろう。
「Gypsy House The WALL ~Write Something~」
これは一斉を風靡したFACEBOOKの社内から頂戴した。
Facebook The WALL そこには社員が自由に書き込める壁があった。
自由な意見、発想、交流が計れる。

そして、壁に直接描いてしまうという行為。
これはアーティスト以外にとっては
"どことなく悪いことをしている・・"
そんな感覚をもたらす不思議なアイテムだ。

真面目に暮らしてきたなら尚更だ。ただ壁に絵を描く。紙やペンがない時代からすれば、普通のことだ。それを「イケナイ事」と認識してしまう現代っ子、こと日本に関してはそういう人種が多い。その感覚が面白い。すなわち、生まれてきた時からの「アタリマエ」に縛られて生きているのだ。

それ故、祇園GYPSY HOUSEでも皆んな楽しそうに描いてくれた。年に1度塗りつぶしリセットする。それもまた面白い。今もまだテナント跡地が空いている。誰も入らないのであればそのまま残っているのかもしれない。是非改めて見てみたい。

どうして2022年、急にこんな記事を書きたくなったのかは解らない。
コロナで閉鎖的だった2年間が創作意欲と鬱憤を溜めてしまったのかもしれない。カレーのレシピと哲学。これを知ってもらうためにはストーリーが必要だ。全てを一度に書ききれないから今日はこれくらいにしておこう。
まだまだ大事なことを書いていないが、何が大事かも人それぞれ。
そして、どうでもいいことも人それぞれ。

出来ないからイライラや不安が生まれ、出来ることを疎み、妬み。
そして感謝し。
彼や彼女が出来ないのは違う生き方、背景があるからであって、なぜ!?と思う必要もない。また自分自身が出来ないのも同じ事情。そういう人生だ。

誰が悪いということもない。誰かのせいにするのは簡単だが、そう言われた人も"親のせい"だとか、"友人のせい"と言い連鎖が生まれるだけ。なんの意味ももたらさない。そこの言及に時間を費やすくらいなら「デキル」ようになるため時間を費やすか「デキル人を探し、任すのだ」

反対に「デキナイ」人がいるのであれば、改善を要求するのは問題ないが、自分にデキルこと、サポートできることであれば、イライラせず助けてあげた方が良い関係が生まれる気がする。その分、自身に出来ないことは全力で任せよう。You 任せチャイナ!

ここまででカレーの隠し味がわかったかどうか不明だが、こうした思考がスパイスや食材に幾つもの層に重なっている。音楽と料理は似ている。人とカレーも似ている。深みのある人や人生と成るためには、根底の部分が大事だ。作り始めの"油を注いだ時点で決まっている"。後から入れた辛味スパイスには尾をひく辛さが残らないのだ。また書こう。

2022.1.7.Fri 花透(Hana Toru)

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