ひきこもりでもLIVEがしたい!「表」

6/11に東京ドームで行われたまふまふさんのライブの感想。(音源は買っていますがまふまふさんのライブを見たのはETAやXYZ、ひきフェスが主でワンマンに行くのはメラドに続き2回目です。個人配信も追っていないにわかの感想なので色々とご容赦ください。セトリなど諸々ネタバレ)



・東京ドーム内でピザを買って食べた。客席にもジュースを売るお姉さんが歩いていた。こんな光景をまた見られるようになってきたのかと、とても嬉しくなった。

・歌い手のライブと言えばカラーギャングというイメージがあるので、真っ白か真っ黒が多いまふらーさんはなんだか落ち着く。いい意味でコアなファンだけの集まりではないことが感じられた。

・「神様の遺伝子」は神様に作られたはずの僕からの自虐と皮肉を歌う。しかしまふまふさんの立ち居振る舞いが神そのものだった。真っ白ふわふわ衣装は今までもあったが人外感が増している。身体が華奢で今にも消え入りそうだ。

・2階席にいたのだが、輪廻転生冒頭の爆発音が大きすぎて何かトラブルかと思った。近くの人の耳は大丈夫だったのだろうか。まふまふさん特有の高音シャウトは年々洗練されている、と思っている。大変失礼だが、昔は「ライブでそんな無理に高音出さなくてもいいのに」と思っていた。(もっとも、昔はそれが流行っていたというかそれを聴くために行くような人もいたと思う)今はそんなことを感じさせないくらい、「これがまふまふの声だ」と自然に聴ける。

・「ユウレイ」の際、すすり泣きのような呼吸と咳き込みにドキッとしたのは私だけではないはずだ。ついこの間点滴していたりと心臓に悪い。「息切れをしてしまった!すまん!」「(スモークが)CO2だからさ。窒息しそうだった」と笑顔で話すのを見てほっとした。

・「林檎花火とソーダの海」賑やかな音と情景設定、言葉選びもポップなのに悲しさと残酷さを歌う。これぞまふまふという曲だと思う。

・「快晴のバスに乗る」は比喩表現が多彩な曲だ。「片道切符の感情や苛立ちの名前にも気づかずに」10代の頃は大体皆そうである。しかし大人になった今、理解していると言えるのだろうか?他人の口から借りてきた言葉で感情を説明して、自分をわかった気になっているだけではないか。ふとそんなことを考えた。自分や他人の心の感触に触れない、触れようと考えもしない毎日を送っていると、さかさまの缶コーヒー等気にも留めなくなる。

・そらるさんが登場し、「1・2・3」を歌い終わった後、おどけた顔でジャンプする2人が眩しかった。友情や信頼、家族愛にも似た深い感情で繋がっているユニットはたくさんある。AtRのお2人が並んでいる時、不思議とそのような熱い感情や絆が際立つことは無い。逆に静けさや落ち着きすら感じる。上手く言えないが「いる」ことが全てなのだ。自分の手足に対してなにか思うことがあまりないのと同じように。

・花道を歩きながら「あなたのことはまだよくわからないなぁ」と呟いたまふまふさんが印象的だった。10年以上一緒にいてもよくわからない。だからこそ隣にいるのは愛でしかない。

・以前そらるさんの配信ライブで歌詞を見ながら聴いていた際、闇や悲しみに接した時の考え方が、まふまふさんと対照的なのではないかと感じた。これはまた別の記事で。

・「水彩銀河のクロニクル」で、白をベースに青・緑・黄色のペンライトが輝きとても綺麗だった。携帯恋話のピンクや曼珠沙華の赤等、曲に合わせた色にする文化は素敵だなと思う。

・歌い手界隈もペンライトの制限が厳しくなってきた。当然周りの方に迷惑をかけないことは大切だ。しかしコロナの影響もあり過剰に大人しさを求める声が増えてきたと思う。(私が年寄りだからそう感じるのかもしれないが棒立ちが本当に増えた)
今日のライブでは私の周囲は常時頭の上で振り回す人も棒立ちの人もいなかった。周りに気をつけて振って、盛り上がる時はしっかり上げて楽しんで、メリハリがあったと思う。

・周りに合わせて久しぶりにケチャ(上にあげた後グルグルしながら降ろす)をやった。若い子から見たら迷惑行為の一つかもしれない。でもこれをやると「歌い手のライブにきたなあ」と思う。

・「表」と言うだけあって爽やかな明るい曲が多かった。今帰りの電車の中でこれを書いている。明日にどんな反動が来るのかもう楽しみである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?