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ルーブル美術館展/芳年・芳幾展のイケメン

※すべて個人の主観です。

ルーブル美術館展


月曜日の午前だというのにマリアージュフレールの紅茶、LOVEは完売!
時限入場なのに時間指定のないチケットや当日券の人も同じ列に並ぶため大混雑!!

など言いたいことはあるんですが。

いわゆるピンクでふわふわで愛しい大好きあいしてるのLOVE展示だと思っているといきなり頭を殴られるかも。

展示は愛とは切り離せない欲情を取り扱っています。
男性から女性への愛の名のものによる掠奪と暴力。
女性から男性への裸体による快楽への誘惑。
画家のほとんど(全員)が男性であることから、虚構の中の女性に対する扱いはすべて男性目線です。
愛と欲情を切り離さずに展示してある点で、ふわふわ可愛いからは離れてしまいます。

ホームページの情熱的な絵や天使たちのあどけない愛らしさだけをイメージして訪れると、あれ? となりそう。
そこから家族愛や恋愛、友愛、そしてキリストへの愛情をも含むエロスとアガペが混在する愛の展示が繰り広げられています。
磔にされたキリストのある十字架を手に瞑想するマグダラのマリアとか、十字架からおろされたキリストを囲む弟子たちなどはキリスト教徒ではない私が感じるには足りない、私にはない言葉で表現されるべき愛に見えました。

わけても、脱いだ上履きのある絵は妄想を掻き立てられます。
上履き、立て掛けられた箒、開いた部屋のドア、その奥に飾られた絵画にはドレスの女性と若い男。
上履きを履いて箒で掃除をしていたはずの婦人はどこに……?
これも「愛」なんだ?

私が見たかった「放蕩息子の帰宅」は同じタイトルのものが二点あります。
親の金を持って遊び呆けていた道楽息子が、金を使い果たして帰ってくる。
許しを請う息子を、父親は怒ることなく許して迎え入れる。
というキリスト教の説教を描いたもの。
なんだけど、この放蕩息子、確かに服はボロボロでみすぼらしく装っているけれど、体つきは筋肉質でカールした髪は艷やか。
血色の良い頬には傷ひとつない。
破れた服は許しを得るための小細工では? と思ってしまいます。
でも許しちゃうんですよね。
美少年だから息子だから!
いや、こんな美しい息子にならそりゃ金も出すし許しも与えるわ、騙されてあげよう!! 私は美しい男が好きだ!!

私はバカ息子を見るためにこの展示に行ったようなものだよほんとに。

国立新美術館内のポールボキューズでは、期間中特別メニューが食べられます。
とても美味しいし、ポールボキューズにしてはお値打ちなので観覧予定の方はお食事も是非。



ハートに矢が刺さってしまった!


芳年・芳幾展


芳芳展は、私が大好きなコンドル設計の三菱一号館美術館が改修のためお休みに入ると聞いて見に来ました。
私は月岡芳年のファン。
2019年に近場で展示があった際には、のぞき穴や絵の工夫をしゃがんで見るためのスペースなどがあり、展示手法そのものがかなり手のこんだものでした。
今回は展示こそオーソドックスでしたが、武者無類では国芳と芳幾の道三らをほぼ同じ位置から見ることができるなど凝っていたなと思いました。
芳幾の作品は国芳一門の中のひとりとしてしか見たことがなかったんですが、メインの扱いともなると芳年との違いもはっきり分かってよかったです。
芳年の描く美人はおとがいがすっきりとした現代の漫画に近い美しさを感じる美人ですが、芳幾は国芳らと同じ面長で丸い顎といった形を受け継いでいるように見えます。
国芳も芳幾の器量を高く評価していて、もう少し熱意があればと口惜しく思っていたよう。
一方芳年は熱意溢れる若人。
器量はあとでついてくる! タイプ。
師匠としては足して割らないままが最高だと考えたことでしょう……

芳年と芳幾の最大の違いは、絵の中の血液の量!
芳幾は血液が飛び散らない! 返り血も少ない! 生首から血がしたたらない!(何の説明?)
ユーモラスで世情をよく表した芳幾と、写実を重んじた動きのある血みどろ絵の芳年といった感じです。

私は芳年の描く男のセクシーさが大好きなので、もちろんイケメンを見に来ました。
以前太田美術館で見た船弁慶はいなかったんですが、せっかくなので今回の展示で撮影オッケーだったイケメンを少し見てください。

去年の大河でも有名なシーンですね
牛若丸セクシーすぎない?

眼福〜〜〜〜!!!!
やはりいい男を見るのは楽しいな、人生が潤う。

一泊二日で三つの展示を回る強行軍でしたが、振り返るとイケメンの記憶しかない……

もう一つの展示は、直前にキャンセルがあってねじこんだディオール展!
別記事でご紹介したいと思います。

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