私の中の雨ヶ崎笑虹というバーチャルアイドルについて
1.本稿の目的
2019年末、雨ヶ崎笑虹というバーチャルアイドルが、AVATAR2.0所属からPalette Project(パレプロ)所属へと移った。それから半年近く経った最近、不意に「そういえば、雨ヶ崎笑虹について、従前から追っていた人による“こんな人だ”っていう紹介されてないのでは」と思ったのが本稿を書くきっかけである。確かに非公式wikiはあるが、それは事実の羅列であって、彼女の歴史ではあるけれど、そこに記載されていない事実もあれば、彼女の人となり、そしてそれが応援していた人にどう映り、何が応援させているのか、ということは、実はパレプロ内でも伝わっていないのではないかと思った。
「暴走チョロQ」が配信中のコメントから偶々生まれたものであったことも、そして本当の意味での「暴走」も、彼女の面白さも、パレプロでの配信、そしてその間にやっていたSHOWROOMでの毎日配信では伝わっていないのではないか、という気がした。私自身、それらの配信を見ていて違和感があるし、少し不自由そうだな、という感じがした。少なくとも、私が感じている彼女の魅力がうまく伝わらないのではないか、という危惧があった。
パレプロ内での雨ヶ崎笑虹の印象として「努力家」というのは満場一致なのだろうし、恐らく良くも悪くも「暴走」という点も一致すると思う。しかし、特に芸事では誰だって「努力」しているのだから彼女に限った話ではない。確かに彼女の努力は「ストイック」という個性といえるほどかもしれないが、厳しいことを言ってしまえば、それは程度の問題に過ぎない。また、「暴走」は「空気を読まない」というネガティブ評価と紙一重であるし、だからこそ「精神年齢」の印象でもおおよそ低かったのだと思われる。これはあくまで私自身の肌感覚だが、「精神年齢が高い」というのは、「大人しい=落ち着きがある、我を抑える」という評価に近いと思われるからだ。
しかし、彼女の「暴走」は創造性と表裏の関係だと思うし、私はその創造性、発想自体の予測困難さが彼女の魅力だと思っている。最近のことと結び付ければ、自身のチケットを押し売りするなどということを、別に禁止されていないとしてもアイドルがするはずがない。その「暗黙の“するはずがない”」を堂々としてのける、そんな創造性が私は好きなのだ。
本稿は、そんな彼女を見てきた私が、彼女自身について、そして彼女を見ている理由を、ほんのりと伝達することを目的とする。
なお、私は記憶力が平均より下なので事実に関しては不正確であったり時系列が前後する記述になること、細かな諸記事や動画の引用はしないことをお断りする。本稿はあくまで、私の「雨ヶ崎笑虹」像を語ることが目的である。
2.雨ヶ崎笑虹との出会い
(1)応援しようとしたきっかけ
彼女はAVATAR2.0に所属していたバーチャルタレントである。
AVATAR2.0は、SHOWROOM、Pixiv、TWIN PLANET(ツイプラ)の3社合同企画(のちにツイプラは運営から外れ、現在は、「いろはにぽぺろ・異世界系譜のvGarden」が加わっている)であり、SHOWROOMにおいて公開オーディションが行われた。「バーチャル蠱毒」という言葉が生まれたオーディションである。「結目ユイ」「九条林檎」「白乃クロミ」「巻乃もなか(←かわいいから見て)」、そして「雨ヶ崎笑虹」の5人の「魂」を選抜するオーディションであったが、候補者はそれぞれ番号が割り振られ、配信の際の獲得ptを競うという形態が「蠱毒」のようだと揶揄されたのである。
私が最初に彼女と出会った時、彼女は「雨ヶ崎笑虹No.6」だった。きっかけはよく覚えていない。多分、Tiv先生が好きで、彼女からフォローされたからだと思う。正直なことを言えば、「巻乃もなか」みたいに配信者としてビビっと来たというより、例えば声が好きとか配信がうまいとかというよりも、単に自分とウマが合ったし、応援したくなった。
彼女は本当に二次元の界隈を知らない人だった。他の候補者がpixiv経由だったりする中で、リアルタレント事務所のツイプラ経由で(諸説あるが)唯一応募してきたのが彼女であり、リアルアイドルが好きだと語っていた。マンガ・アニメ・ゲームのどれも詳しくない彼女が、バーチャル蠱毒の視聴者層と話を合わせるのは中々難しいだろうな、と思った。特に、短期間で支持を集めなければならず、全員が同じ配信画面であるこのオーディションだと、視聴者層の多くと共通の話題がある方がやはり有利だろう。
けれども、私はそこが逆に新鮮に思えた。彼女のような人が、次元を超えたファン層にリーチしてくれたら、バーチャルタレント界隈も裾野が広がるかもしれないと思った。彼女を応援しようと思ったきっかけはそれだった。
(2)当時の彼女について
パレプロから彼女を知った人にとっては意外かもしれないが、彼女は先行きや全体を見通した上で、自分自身のことを見つめながら行動する、リアリストの側面がある。
そもそも、二次元を知らない彼女がこのオーディションに参加したこと、それもまた未来を見据えた上でのことだ。バーチャル事業というものが実を結ぶのに早くとも数年かかるということを、後になって彼女はことあるごとに語っている。それでも彼女はこの事業に可能性を見出して乗り込んできたのだ。しかも「このオーディションでダメだったら、アイドルの夢を諦める」という覚悟の上で、この先行きが不明な事業に自分の人生を賭してきた。
また、後になって彼女は「終わりを見据える」と言うようになるが、これは冗談ではない。いずれ終わりは来るという事実を認識した上で、「今の自分ができることをする」というのが、その意味するところなのだ。
そんな覚悟を持った彼女を応援しない理由はなかった。
結果として、「No.6」は「雨ヶ崎笑虹」となった。
3.雨ヶ崎笑虹の暴走
彼女を語る場合、「Rain*2Bow」を得るに至ったSHOWROOMにおける楽曲獲得イベを抜きにすることはできない。
このイベントは、アイマスの楽曲も手掛けた佐々木宏人がオリジナル楽曲を提供してくれるというイベントであり、熾烈な争いとなった。詳細は省くが、このイベントで彼女は24時間タイテ(1時間枠×24)を1週間実行し、勝利した(厳密には数時間は寝ていた気がする)。
本稿で述べたいのは、これが彼女の「暴走」の代表例だということだ。そしてそれは「無茶をする」ということでは必ずしもない。
そのイベントでは、配信の時間制限はなかった。だから、やろうと思えば24時間配信もできたし、単純に獲得ptを競う以上は、効率的かどうか、配信の質はどうかはさて置いて、それが一番いいはずである。
しかし、誰もそこまではやらなかった。一応、彼女の前にも長時間タイテを実行している人はいて、彼女もそれに影響を受けたとはいえ、ここまで苛烈な配信タイテを実行する人はいなかったと思う。
それは「ルール違反」ではない。あくまで「ルール」の中で、目的達成のために自身がとり得る最大限の手段を行使した結果なのだ。
もちろん、このような無茶な長時間タイテに関しては議論が生じることになり、また、目的のために“結構な”(つまり、応援側にも相当の負担を課す)手段を用いる彼女に対して違和感を覚える人もいたと思う。みんながみんな、彼女に賛成していたわけではない。
しかし、それこそが「暴走」なのだ、と私は思う。「24時間タイテもルール上可能であったのに、“なんとなく”やらなかった」、「自分の目的達成のためでも“なんとなく”穏当な手段をとった」。彼女のしたことは、この“なんとなく”を問い直すこととなった。
彼女の本来の「暴走」は、ふんわり漂う水面に一石を投じるような、そんな行為だ。それはときに新しいものを生む。彼女の「暴走」はそういう意味での創造の営みでもあった。
4.雨ヶ崎笑虹の魅力
(1)リアリストな側面と「努力」
先述のように、彼女はリアリストな側面がある。ある程度の未来を見据えた上で、逆算して「今の自分がすべきこと」をすることができる。また、「終わり」を見据えた上で、「今の自分ができること」をすることができる。彼女は案外と戦略家だ。
彼女を「努力家」というのであれば、その根源はこのリアリストな側面にあると言うべきであろう。目標と現実、将来の自分と現在の自分との差分を分かった上で粛々と実行する。それが周りには「努力」に見えているのだと思う。
(2)ファンとの距離
彼女は割と手段を選ばないという意味で冷たい面も垣間見えるので、そこをネガティブに捉える人もいておかしくない。だが、ファンに負担をかける点で違和感を覚えるのであれば、少なくともそれは違う。
最近の出来事で言えば、推し電話を体験した人ならわかると思うが、彼女が応募者をリストに入れているのは、参加者を把握して準備するためだ。推し電話では、参加者一人一人にお手紙を準備していた。
過去の象徴的な話をすれば、彼女の単独リアイベでは、40人ほどいた参加者に喜んでもらおうと、オリジナルドリンクを考えたり、ストローに旗をつけたり、写真撮影用に自分のぬいぐるみを作ったり、グッズとして小さなぬいぐるみやチェキを作ったり、一人一人にお手紙を書いたり……本当に色々なことを自分でこなしていた。それらは全て、自分で考案し実行したものだ。スタッフが協力していただろうとはいえ、並大抵のことではない。
この手のエピソードで自分が好きなのは、ファンから(初めて?)もらったファンレターが嬉しくて持ち歩きバスの中で読んだりした、という話だ。
ただ、こういったファンとの距離は、実際に体験しないと分からないかもしれない。近ければ近いほど引力の強くなる感じに近い。遠くから眺めるとよくわからない魅力だと思う。
(3)歌声の雑味のなさと彼女のお歌
私は歌の良さはよくわからない。聴くよりも歌う方がどちらかといえば好きなタイプだし、耳の性能もよくないし、専門的なことは何もわからない。
ただ、彼女の「365日の紙飛行機」は狂おしいほど好きだ。
オーディション中に聞いた彼女の歌声は、身体を震わせるまでの力強さはないし、逆に心を締め付けるまでの悲痛なか細さもなかった。
しかし、異様なまでに“雑味がなかった”。
特に加工もしていない、生配信中の歌なのに、その声が喉という物体から出ている気がしなかった。普通かどうかはわからないけれど、自分が聴いてると、配信中の歌は、多少なりとも喉を通った感じの雑味がする。その雑味が、力強さや生々しさといった旨味を出している気がする。そういった雑味が彼女の歌からは感じられなかった。彼女はよく喉を痛めていたし、恐らく裏声で歌っていたのだと思うが、それを考慮しても雑味がなさすぎた。
そんな歌声で聴いた「365日の紙飛行機」に、自分はとても惹かれた。ことあるごとにリクエストしていたと思う。本家よりも好きだ。なにより、彼女の雑味のない声は、この曲に合っていた。紙飛行機は風に吹かれて進む。その風に何の意図もなければ、紙飛行機もまた風に任せて進むだけだ。“何の意図もなく、ただ紙飛行機が進んでいく”、そういう情景と、彼女の雑味のない歌声はぴったり重なりあっていた。彼女の雑味のない歌声は、まるで紙飛行機を運ぶ風のようだった。
そこに、彼女自身の想いが重なってくる。
パレプロから彼女を知った人も知っているかもしれないが、彼女は歌詞の意味を含めて、歌を理解しようとする。その上で歌うため、彼女が好きで歌うものは、彼女の理解と自身の想いが乗ってくる。だからこそ、伝わってくるものもある。
24時間タイテでもファンとの距離でもそうだが、彼女は不器用だと思う。効率的に何かをするということには向いていない気がする。
ただ、だからこそ、一つ一つを大切にできる、そんな人だ。
(4)自由からの暴走と可能性の増幅
先述のように、彼女の「暴走」は創造と重なってくる。
正直に言えば、全体配信とかで「空気を読めない」感じがあると、私は内心ヒヤヒヤしていることがある。会話にはその場の「流れ」がやはりあるし、「調和」というものがある。その流れや調和を乱すのは、見ていてヒヤヒヤする。
もっとも、そういった「空気を読めない」は逆に言えば「空気」自体を問い直すことでもある。明確に禁止されていないこと、“ただなんとなく守っていること”を明るみに出す。「暴走」はそういう機能を果たしている。
他方で、それが彼女を「大人しい」と評価させない要素でもある。みんながなんとなく了解していることを「なんで」と訊き続けるのは、「子ども」なのだ。「そういうものだ」と答えられて「そうなんだ」と引き下がること、これが「大人しい」子である。
私は職業柄、この「なんで」を訊き続けることが仕事のところがあるので、そういう「暴走」や「大人しくなさ」は魅力的に映る。
とにもかくにも、彼女の「暴走」は「思いがけないもの」を生む可能性、視点の転換可能性を内包するものだ。
例えば、先日の「リクエストボイス」。彼女はそれを「誕生日おめでとうボイス」の点を明確にして売ってみせた。「リクエストボイス」は「買った人が自由に決められるメッセージ」であった。その中には当然「誕生日おめでとう」をリクエストした人もいるかもしれない。
だから彼女のやったことは単体では特別なことではないかもしれない。しかし、「買った人が自由に決められるメッセージ」という点だけではなく「あなただけに送るメッセージ」という点を明瞭にしたこと、これは特異だったと思う。
少なくとも馬鹿な私は、その点を見逃していた。確かに「リクエストボイス」にはその両面があったはずだが、私は「内容を自由に決められる」という点に目を奪われていた。「誕生日を個人的に祝ってもらう」という発想はなかった。その意味で、彼女の「暴走」は私の視点を転換させた。
このように、彼女の、大なり小なりの「暴走」行動は良くも悪くも「空気を読まない」ものであるが、逆に新しい可能性の端緒ともなる、そういうものだ。
5.私から彼女へ
彼女の「暴走」はネガティブに捉えれば、団体の統一性を損なうものであって、ある種の「掟破り」である。この点は否定できない。
だからこそ、そのネガティブな点が度を越さないように、コントロールする必要がある。どこかで雛壇芸人にたとえられたとき、アドバイスされたのはこのようなものだったと、自分は理解した。
「暴走」のポジティブな面、創造力の面を強みにする、そのためには「意識して「暴走」」しなければならない。つまり、「空気を読めない」ではなく「空気を読まない」。そして「空気を読まない」ためには、他人の話を聞いて「空気」を把握しておく必要がある。
それは単に「空気を読む」ことよりも難しいかもしれないけれど、これまでも「“ルールの中で”最大限やってきた」彼女ならばいつかできるようになると思う。その「ルール」が、明確な・文字に書いてあるものから、「空気」という曖昧なものとなると途端に難しくなるけれど、とりあえず相手の話を聞く、自分の考える相手と話すのではなく、フラットに相手のことを知ろうとする、そういったことから始めるのだと思う。
これからも彼女には、自分のいま見ている景色を壊して、新しい景色を見せて欲しい。