子どもの「なぜ?」

 約三歳以後に、子どもは自分にたいしても周囲にたいしても際限のない質問の雨を降らせるようになるが、そのなかでもっとも顕著なのは「なぜ?」という質問である。そこで、これらの質問をどのように公式化しうるかを研究してみることが可能である。なぜなら、ある問題提起のしかたはすでに、どんな種類の応答ないし解決得たがっているかを示すものだからである。いっぽう、他の子どもたちにたいして、試問の主語として同じ質問ないし類似の質問をもういちど用いるためにもちょうどよい。第一に、一般的に確認されなければならないのは、次の点である。すなわち、頻発する「なぜ」は、作用因と目的因との中間にある前因果性を立証しており、この「なぜ」は、われわれにとっては偶然的なものにすぎない諸現象についても、子どもにあっては、これらの二つの見方「作用因・目的因」から、その理由を見いだそうとして発せられるものなのであり、その結果、目的論的説明を求めるようになるものなのである。「ジャン・ピアジェ」白井圭一編著より

 「子どもの質問」

 「子どもの質問は、大人に取っては、うつさい厄介なことのように扱われているが、子どもの身になってみれば、もとより真剣なので、教育の上から見て、非常に大切なことである。」

 「倦んでいやがる子どもを叱ってまで、勉強を強いる人はあっても、子どもの質問は大嫌いな人が少なくない。実にこんな矛盾な話はないのである。」

 「サリーという学者は此の有り様を見て「悲しい喜劇」といっている。大人は子どもを賢くしようと骨を折りながら、其のくせ子どもが知識欲を持って生まれてくるとうるさがる。」

  「育ての心(下)」倉橋惣三著より


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