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生命(いのち)をいただく。|長岡式酵素玄米講習会。

美味しい酵素玄米。

先日、「長岡式発酵玄米講習会」なるものに参加して来た。初めて酵素玄米を食べたのが5年前、その美味しさに感動して、「直ぐにでも我が家へ導入を!」と息巻いたのだが、炊き方を聞いてこれまた驚き、結局今の今まで我が家で酵素玄米が炊かれることはなかった。長岡式は酵素玄米として口にするまでに4日、しかも玄米を炊くだけでも2時間かかる。特に最初の1時間は鍋の前にかかりっきりになり、正直なところ、その"儀式"とも言える炊き方にも感銘を受けたのであるが、自分でやるとなると、また話は別。小さな子どもがいる私は、その子どものせいにして、炊くことを早々に諦めた。講習を受けずして、長岡式酵素玄米を炊くことはできないので、講習を受けてから鍋やジャーを購入し、実際に炊くことになるのだが、講習を受けてしまったら、どうしても炊きたくなることだろうから、いずれは我が家でも炊きたいと思いながら、何度かお誘いを受けても講習会に参加することから、約5年間ずっと逃げ回っていたのだ。ご縁あってこの度また違う方からお誘いを受けたので、とうとう観念して講習会へ参加することにしたのだった。

短い時間で内容満載、ここでは印象に残っている言葉や、お伝えしやすい内容を紹介しよう。

色心不二。

色心不二。講習会はこの言葉から始まった。

色(物体・身体)と心(精神)は一体であること。
色(+:陽子)と心(−:電子)は一体であること。

だそうだ。生命とは+-のバランスで成り立っているのだが、現代では-:電子が飛びだし、【酸化】が進んでしまっている、そして、現代人は物や栄養(+)を食べるようになり、生命(+−)を頂こうとしなくなったからますます+に傾いてしまうとのこと。
"体にいいものを食べよう"することも、そのこと自体、己の物質欲をみたすだけであり心のエネルギ-は満たされないから、身体と心が本当に喜ぶことをしよう、いただこうと言うのだ。病氣も、氣(−)を病んでいるから身体(+)がサインを出している、と、

"すべてはバランス"

この言葉を何度も使い、説明されていた。

食べ過ぎのイモムシ。

酸性(+)に傾いた土壌で育つキャベツに住みつくイモムシは食べても食べても満たされることがなく、"やけ食い"するので、太り、増え、キャベツを食い荒らしてしまうが、バランスのとれた土壌で育つキャベツにいるイモムシは、必要な分だけ食べるという話がとても興味深かった。人間も同じことが言える。満たされずに、ついつい食べ過ぎてしまう、満腹であるはずなのに、手が伸びてしまうことはよくあることではないだろうか。生活が人工的になればなるほど生命力のある食べ物を欲するのに、また人工的な食べ物を入れてしまうのだから、これまた人間もやけ食いしてしまうというわけだ。

禾(穀物)を口にする=和

禾(穀物のこと)を食べる=和という話。

ここで【和】の意味を調べてみよう。

わ【和】 の解説
1 仲よくすること。互いに相手を大切にし、協力し合う関係にあること。「人の和」「家族の和」2 仲直りすること。争いをやめること。「和を結ぶ」「和を講じる」3 調和のとれていること。4 ある数や式に他の数や式を加えて得られた結果の数や式。⇔差。

何が言いたいのかというと、穀物を食べていれば争いは起きないということだ。身体の中でバランスが取れれば精神のバランスも取れ、勝ち負けに執着する必要が無くなるが、経済社会に身を置き、生命のない物ばかりを口にし、満たされることのない現代人であるから、争いが生まれるのはもはや必然的なのである。このヒントが縄文時代に隠されているような気がする。およそ8000年続いた縄文時代、食事の中心になったのは木の実やイモであり、クリ、クルミ、ドングリ、ヤマイモ、マメといったものであったそうだ。弥生時代に入ると農耕を始めるわけであるが、縄文時代の人は土地を傷つけるという理由から農耕をしなかったそうだ。8000年も続いた理由は食にあり、まさしく調和の取れた世界だったのではなかろうか。

鍋の中でビッグバンを起こし、宇宙をいただく。

そんなことを言うと怪しすぎるから、主催者は明言されていなかったが、そういうことを言いたいんだろうと、わたしは理解した。もはや生命どころか宇宙じゃないか!って講習会中に叫びたくなったが、静かに真剣な面持ちで、講習を受けたわ♪炊き方も儀式的で個性たっぷりだ。気になる方はぜひ長岡式酵素玄米講習会へどうぞ。

炊く気も食べる気もないが、前述した食の理論が気になると言う方は、この本が面白いのではないかと思う。わたしは講習会前に誰に勧められたわけでもなしに、この本を借りて読んでいて、話の内容があまりにも類似しており、やはり来るべくして講習会に来たんだと思った。

まぁこんな時代であるから、誰もが一度【食】について考え直してみてもいいのではないかと思い、ここに記した。わたし自身は早速実践して、変化があればまたこちらに記して報告しようと思う。

ありがとう太陽 ありがとう大地

そうそう、講習中ある歌を思い出した。それは息子が幼稚園で食前にうたう歌だ。短く、よくできている歌であるので、家庭でも取り入れていたから、すぐに頭に浮かんできた。

大地がつくり 太陽が実らせた
ありがとう太陽
ありがとう大地               感謝して いただきます

大地がつくり、太陽が実らせる=穀物である。そういえば、講習会では美味しいものを食べると感謝が湧き、感謝することは充電に繋がると話されていた。身体にも心にも美味しいと思えるものを摂っていれば、調和がとれて、湧水のように感謝が止めどなく溢れてくるんだと思う。いつも思うのだが、感謝は本来、"する"ものではなく、自然と"湧いてくるもの"だと思うのだ。




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