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トイレットペーパー不要論

本日のお題はトイレットペーパー。前記事でトイレットペーパー行列問題をディスってしまっては、書かないわけにはいかない気がしてきてしまったのだ。本当はこんなこと書きたくない。トイレットペーパーを話題にするなんてバカげているし、美しくない。けれど、トイレットペーパーについて思考してしまったので、わたしの思考の証として記しておくことにする。

世界各地でなくなるトイレットペーパー

連日品薄が続き、ドラッグストアーの開店前には長蛇の列ができていると言うではないか。これを聞いた時にはマスクとトイレットペーパーは原料が違うのになぜだろうと、この社会現象に驚いたのだが、今や世界各地でこの現象が起こっているというから、更に驚きなのだ。

日本では「トイレットペーパーなどの紙製品が不足するというデマ」には、「マスクと同じ原料を使っていて、マスクのほうに原料をとられている」とか「トイレットペーパーを生産していた中国の工場が止まった」とかそんな理由のデマが一緒にくっついて流れた。サル化しているわたしたち人間は、それが事実か調べることなく、塾考することなく、真に受けて、行列を作った。マスクの原料は不織布で、紙ではないし、後者についても日本の紙製品は90%以上が国産なのだ。デマだと素早く誰かが発信し、拡散しても、全国の製紙業者が加盟する日本家庭紙工業会や政府が「トイレットペーパー、ティシューペーパーの供給力、在庫は十分にある」と発表しても、品薄状態は今でも続いているから、恐ろしい。それも世界的に。

なぜ人はトイレットペーパーを買いだめするのか?

なぜこんなにも問題になるほど、トイレットペーパーをはじめとする生活用品の品薄状態が続くのかというと、人は不測の事態にパニックになった時、「生活用品を買いだめすること」で、安心を手に入れたいのだと考える。「不足する」というデマもデマだと分かっていながら、安心感を手にしたいがために、買いに出ている可能性さえ拭えない。その手に入れた安心も偽物のような気がするけれど、いてもたってもいられず、とにかく手っ取り早く安心したい真理が働くほど、パニックに陥っているのだ。不安は不安を呼び、それはいつしかパニックの渦となる。

マスクの必要性も考えて着用しているか

マスクも、感染の疑いもなく、特殊な仕事をしているわけでもない、わたしのような一般人には必要ない。というか、一般的に売られているマスクーーーウイルスの侵入を防ぐという観点では、そもそもそんなに意味がない。そこら辺でお手軽に買えて、着けると隙間だらけなマスクにウイルスカットの効果があると、本気でお思いで着用しているのか、よく考えて欲しい。何ならウイルスカットを謳う本気のマスクでも、そこまでカットできていないことが最近の研究でわかっているらしい。

それでも私は竹布のマスクをしている。

目的は喉を潤しておくことと、体温を上げるため。不織布は化学繊維だから気をつけた方がいい。これらは吸い込むと肺の間質などでも炎症を起こすことが知られているし、化繊は体温を下げてしまう。巷で流行っているコットン100%の手作りマスクは理にかなっているのよ。お母さんが子どものことを考えてやることには、ちゃんと愛がある。

さてさて本題はトイレットペーパー。

そもそもトイレットペーパーは必要か?

この項目について、本当に書きたくない。しかし勇気を持って書こうではないか!わたしはトイレットペーパーやティッシュペーパーというものは、富から生まれたものであり、便利グッズ的な存在で、「無くても困らないもの」だと認識している。実際に鼻はシルク、綿、竹布製のいずれかのハンカチでかんでいるし、何か汚した時に咄嗟にティッシュを取って拭くことはあるが、なければタオル等で拭うまでだ。トイレットペーパーも同じこと。ガーゼやタオルで拭いた方が肌に優しいし、拭いた後は軽く洗ってつけおきしておけばよい。洗って乾かした後は再利用。布おむつや布ナプキンと同じシステムだ。なにより環境に優しい。そうそう、今日この話題を仲間にしたらこんなことを言っていた。

大便も、おしりにくっつかない健康な大便をしていたら、そもそも拭うものさえ必要ない。

最高だ。書こうとして憚れていたことを言ってくれたではないか!ちなみにそう言い放った彼女は、自然派育児を実践している4人のママ。こんな家庭が増えたら健康な子どもが増えていいね。トイレットペーパーを買いに行列に並ぶ前に自分の健康チェックも大切かも、なんてね。




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