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BFC5落選展感想61~63

BFC5落選展の感想です。リストはkamiushiさんによるまとめ「BFC5落選展」をお借りしました。

LIST61 「本当の音楽」中務滝盛

 うちの父はバラエティ番組が好きです。特に好きなのは音楽を題材にしたもので、芸能人のカラオケとか、歌のめっちゃうまいひとが一般人のフリして一発かますみたいなのを真剣に見ています。特に琴線に触れる歌声を聞くと、少年漫画でバトル解説するちょい強キャラみたいな半笑いを浮かべてこう言うのだ。「フッ、こいつはホンモノだ」と・・・。

 私はシラーッとしてしまう。なんつーか、なんなんすかね、テレビ的に感動できるよう演出されたものに乗っかっていることにフンッ!てなるのもそうだし、自分が良いと思ったものをホンモノだって素直に言えちゃうところが恥ずかしい&羨ましいのかも。

 だいたい「本物」って言葉からして扱いが難しいじゃないですか。特別な勉強をしたひとじゃないと本物かどうかを語っちゃいけない雰囲気があるし、何かを本物だと評価することは、言外に別の何かを偽物だと語っているように感じる。・・・そう感じるのは貴様の認知が歪んでいるせいじゃん?と思うかもしれませんが、いったんここはそういう時代だということにしておきましょう。そう、多様性の時代だ。

 前置きが長くなりましたが、本作品のタイトル「本当の音楽」を見た時も私はそれに近い印象を持ちました。精神的クソリプ人格が「じゃ、本当じゃない音楽がこの世にはあるって言うんですか~!?」とイチャモンをつけたくなるわけですね。

・・・全然そういう話じゃなくてよかった。むしろ逆。

 この詩は、ある一つの音楽を「本当の」と決め込むのではなく、ひとりひとり違う「本当」のことを音楽という概念で包摂しようとしているのかなーと思いました。つまりここで言われる「本当」とはあなたの目の前にある現実のことなんじゃないでしょうか。

◇「本当の音楽」概要

 都市開発で取り壊される大阪市横堀川地域についての追想。「僕」は過去にその近辺で生活していたのだった。

 中華料理屋で働き、店の漫画本をパクッたこともある。当時の「僕」は夜なのに青空が見える高架下で同じ曲を延々と聴いていた。その曲だけを本当の音楽のように感じていた。

 地蔵盆の日、すれ違ったお婆さんから敵意を感じた。「僕」は傷つき、どこにも逃げ場はなく、それでも日々は音楽のように続いていく。

 今まで過ごしてきた日々を俯瞰すると、遊園地のようでもある。双六のようでもある。時は流れ続け、過去と現在は等しい。僕らはみな本当の音楽の中を生きている。


 こちらの作品は詩です。しかし私は、この作品の何をもって詩だと思ったのか・・・? ちょっと考えこみました。

下大和橋で過去の自分と出会った。
岡持を提げ、自転車を漕ぐ青年とすれ違う。
帽子被らないと熱射病でバテてしまうぞ。
高津の方へ走り去ってゆく僕の後ろ姿を見ていると
湿気た段ボールと厨房の排水とが混ざり合った匂いが、今まさにそこにあった。

「本当の音楽」中務滝盛

 こちらは冒頭ですが、感情をカッコで括ったり、二行に分かれた文章を一行にまとめればエッセイといっても良さそう。

 じゃ、この作品は改行が多いから詩なのかというと、そうじゃない。たぶん歌ってる感じがあるから詩なんじゃないかなあ。この詩は何気なく韻を踏んでいますね。

 先ほど引いた箇所とも重なりますが、「湿気た段ボールと厨房の排水とが混ざり合った匂い」「黒ずんだ制服と、日に焼けた大量の漫画本がぐちゃぐちゃに散乱した部屋で」は対応しています。わざとらしくならないように読点を入れたり「ぐちゃぐちゃに」という言葉を混ぜたりしているのかな。わからないけど。

 また次の節のこのあたりとかも(詩だなあ)と思います。

僕は錐で首を切られて血溜りの中に倒れながら、こう思う。
リズムが上がったり下がったりするみたいに
人生に浮き沈みがあることは悪いことなのだと随分あとになってから知った。

「本当の音楽」中務滝盛

 錐ですよ。キリ。錐で首を切るってあまり聞いたことがない。「キリ」「キル」で鋭さを引き出しつつ、包丁よりも鋭く尖ったものでピーッと切る。そして血がたくさん出て倒れてしまう。

 実はこの文章って時制がちょっと変で「倒れながら、こう思う」ことが「随分あとになってから知った」ことと同じなんですね。詩の世界ではわりとこう、時や場所をフラットに乗り越えられる。

◇若い日に見た幻想

 懐かしんでいるわりに、素敵な恋人がいたとか近所の〇〇が美味しかったとか、そういう良い思い出を書いていない。そこがいいと思った。

 もちろん良いこともあったかもしれない。でも、この詩を読む限り「本当の音楽」を感じるうえで必要なのは、夢のような甘さではなく、現実的な生活と軋轢なのだろう。あとはまあ、過去を振り返りつつコーヒーを飲めるゆとりかな。今ひどく追い詰められている状況だったら、とてもそんなふうには思えないだろうから。

小さく切り取られた空の隙間は、夜なのに青空が見える。
帰りたくならなくて、同じ曲を五十回くらい延々と流し聴いた。
曲調がとりわけ優しくなるあの音楽以外本当のものだとは思えなくて、リズムの外へ出たくならないのだ。

「本当の音楽」中務滝盛

 空と音楽を頼みとするような心は、肉体を酷使し、閉塞的な日々を送っているから得られたものだ。大人になると、子供のころは大きいと思っていたものを、「こんなに小さかったのか!」と驚くことがあるけれど、そんなふうに「僕」は過去の出来事を俯瞰できている。

 本当の音楽というものがもしもこの世にあるとしたら、それは生活のネガティブな肌触りと切り離せないと思います。なぜ人間が天国を夢見るのか。それは、今いるところが天国ではないからです。そんな中にこそ本当の音楽があってほしい。いや、実際にあったんだと、そう歌っている。

 この詩で歌われている土地、横堀川地域は取り壊されてしまいました。しかし私たちの音楽はこれからも続いていく。心強い、人間讃歌の詩だと思いました。


LIST62 「火喰い」山崎朝日

 小説投稿サイト「小説家になろう」にはローファンタジーとハイファンタジーの区分がある。

 アホの春Qは(なんかハイファンタジーのほうがかっこよさそー)などと思っていたが、これは物語の舞台が現実世界とつながりがあるかどうかというジャンル分けらしい。そもそもは神話的なファンタジーはハイファンタジー、それ以外はローファンタジーという区分だったみたいだ。

「指輪物語」「ゲド戦記」はハイファンタジー、「モモ」や「ハリーポッター」はローファンタジーということになるのかな。「はてしない物語」や「ナルニア国物語」はどうなんだろう。人によって定義は分かれそう。

「小説家になろう」のハイファンタジーはドラクエ的世界観を前提としている。なので既成概念とはだいぶズレがあるように思うんだけど・・・一般的にはローファンタジーのほうがとっつきやすい。ような気がする。ハリポタもハリーが「魔法のことなんて全然わからない」というところから始まっているから、すんなり読めるわけだし。

 本作はそのハイファンタジーです。私の原稿用紙カウンターによれば規定枚数ピタピタです。ファンタジー、それも掌編でここまで真っ向勝負してるのは強いなー!と思いました。

◇「火喰い」あらすじ

 神が遣わした獣「ヒクイ」は火を食べて成長する。極度の乾燥による火災の多い地域で、人々はヒクイを使役する火治人となった。

 今夜も火事があった。サザは一人、ヒクイ達の無事を祈っていた。ヒクイでも一度に多量の火を食べれば命の危険がある。また、人間が悪意を持って放った火を食べると死んでしまう。かつてその現場を目の当たりにしたサザはヒクイに対して罪悪感を持っていた。現状、人間は神獣を自分たちの都合で働かせ、自分たちの都合で死なせてしまっているのだ。

 両親と死に別れ、親友のアルグも相棒のヒクイを失って失踪した。とどめのようにヒクイの死を目撃し、サザは火治人になる思いがくじけてしまった。

 その時、アルグの声が聞こえた。ヒクイが死に際に見せた目とアルグの「行こう」と招く声に従い、サザは外に出る。歩き続けた先には飛翔するヒクイの群れとアルグの姿があった。本来飛ぶ力を持たなかったヒクイが進化を遂げていたのだ。サザは葛藤しつつヒクイの背に乗った。


「ヒクイ」「火治人」、オリジナル概念の説明が順序だてて出てくるところが楽しい。ヒクイは一雷、二雷と数えるのだ。小さな火を与えて育てる火治人たちも作中で生き生きとしている。

 この字数じゃ絶対に無理だとわかっていても、ヒクイの見た目を教えてくれと思わずにはいられない。後半、飛行タイプのヒクイも出てくるけれど、立っているところ、寝ているところ、動いているところを知っていたら、より「うわ~! 飛んでる~!!」と思えただろうから・・・。

 無理ついでにもう一個言うと舞台設定も知りたい。

 たとえばサザはヒクイの鳴き声を聴いている。野生のヒクイは人の嘆きのあるところにしか赴かないこと、だから火治人が火災現場まで誘導すること、その声が信じられないほど遠くまで届くことが全部並列な事実として語られているので、山火事を鎮火する声を町で聞いているのかな、と思った、しかしそうすると後半に寝床を出てどこをどう歩いているのかが疑問になってくる。飛ぶヒクイがたくさんいるのに町の人が驚かなかったら変な気がするからだ。

◇神獣を礎に

 テーマが深遠で、読んでいて「そう!こういう重みのあるファンタジーが読みたかったのよ!」と思いました。人間がいて、神獣がいて、火がある。人間は神獣の力を借りて火を治めるのだが、人間には悪い奴もいるし、火は強くなる一方。いったいどうすればいいのか。

 行って、どうするというのか。この、夥しいヒクイの命を、黒い炎に溶かされるのか。それでお前は平気なのか。そう思ったが声は出なかった。涙を流しながら、サザは金色の獣によじ登った。

「火喰い」山崎朝日

 作中で結論は出ていて、生きるために多くを犠牲にしながら火を消し止める道しか、人間には残されていないんですよね。

 また火災というのもただの自然火災ばかりではない。世の中全体が危うい状態に置かれていることもはしばしで示唆されています。

 紛争地域の、医療ボランティアとして派遣されていた緩衝地帯で、サザは初めてそれを見た。大きな嘆きに反応して集まっていた何雷もの野生のヒクイが、皮膚を舐める黒い炎に纏わりつかれ、悪臭を発しながら少しずつ、溶けるように形を無くしていった。

「火喰い」山崎朝日

「紛争地域の、医療ボランティア」だけ聞くと現代的というか、国内から海外の紛争地域に派遣されたのかと思うが、たぶんちょっと離れた場所くらいの感覚なのだと思う。ポケモンみたいな世界観でヒクイという生き物がいっぱいいる雰囲気じゃなさそうだからです。(世界規模でヒクイがいたら保護するシステムも整っているんじゃないか?)

 単に乾燥した地域というだけでなく、戦争が近い。ラストシーンでも「海の向こうで、また新しい戦争が始まっていた。」とあるし。

 そんな手に負えないような大きな災いにサザとアルグは立ち向かう。二人ともヒクイのことが大切なんだけれども、どうしても彼らを利用せざるを得ない。この葛藤があるからこそ、強い物語が立ち上がるのだ。

 たかだか個人の感想で無責任なことを言うべきではないのだが、やっぱり、それでも、どうしても、もう少し長く読みたいな~と思いました。ヒクイの設定はこの掌編一回で終わらせるには勿体ないからです。いや大きな物語を書くのは大変だろうから置いておくとして、ヒクイの生態レポートとか読みたい・・・。この神獣、ごはんは一日三食食べるのか?群れで焚火をつついたりするのか? 想像するだけで楽しい・・・。


LIST63 「積み重なる想い、透けて」ほげほげ仙人

※本記事作成時点で作品が閲覧できなかったため、感想は差し控えます。


次回更新は5月17日の予定です。

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