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「あゝ 我が人生偶然なり」

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私のキャラクターがどうも強いようで、自分の人生についてまず書いたものをまとめています。しかし、忘れないでください。主軸は旅です。
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#あの選択をしたから

私が、公務員を続けることをやめれないのは、自分の中で自分を自分として肯定できてないからであった。①

5月に島根の上にある隠岐諸島の海士町(中ノ島)で高校生へ私の人生について、話す会開いてくれた。 本当に心から貴重な機会とお時間をありがとうございました。参加していただいた皆さま、本当にありがとうございました。お世話になりました。 私は、そこでもちょっと話したけれど、みんなに話すことによって、自分の中でまとまった“やめる“ということが難しかった話があるので共有したい。チラリと、追加公演を聞いてはくれまいか。 ここには旅の話がメイン。②からが本題なので、早く本題に行きたい方は

私が、公務員を続けることをやめれないのは、自分の中で自分を自分として肯定できてないからであった。②

この話は、島根の海士町へ私が行って、高校生のみんなに話した事をもとにしています。 初回はこちら→ 続きをどうぞ。 東京に戻ってくれば、私は公務員への就職が決まっていた。 え!? “私の興味関心があることを積み重ねていって、それを信じるだけでいい。” って言ってたじゃん! そう、私は興味関心があることを積み重ねるだけでいいと、肌で感じつつも就職が決まっていた公務員への道を突き進むことになる。 なぜか。 この話は、ここからが肝である。 一歩出すことも難しい。

人生の"設定"を変えたら。①

このnoteは、何のために生きているのか思い出せなくなってしまった私が体調不良を経て自分を思い出した話です。 みなさん、やっほー。 このnoteは、中高生のご両親から大学生、旅仲間から公務員、教員から友人のご両親まで多岐に渡るジャンルの皆様にチェックしていただいていると聞き及びましたので、みんな引かないでそのまま付いて来てくれー!\( ˆoˆ )/ありがとうございます! 私は、会社に所属せずにオノレひとりでやっていくことに憧れがあるのですが(というか、もうやってるな、、

人生の"設定"を変えたら。②

”我慢”設定で人生を生きてきた私。 2019年に行きたかったアフリカへの到達を果たした後は、 何のために生きているのかは思い出せない。 という状態でした。思い出せなくても毎日は進むし楽しいこともあるし、仕事はあって給料も入ってくるし何も不自由がなかったので、放置していたところ、体調不良へ。 放置していたことが原因だと考えます。 自分を見つめなおし、自分を因数分解していくと旅が残りました。 しかし、旅で体調を崩しがちなのもまた事実で、自分の考えに自信を持てずにいました。