身体機能の衰えって老いの実感値がばか高い

自分が小学生くらいの頃だったか、テレビで「美魔女」をよく見かけて、純粋な子供心として自分はそうはなりたくないなと思った。時間は平等だから重ねた年齢に抗うって不自然なことで、醜いと思った。


それってほんと、経験してないからこそ言える綺麗事なんだよね。

いま自分より年上で老けに抗う気のない女がいるとしたら、(生活環境にもよるだろうから自分と同じようなライフステージの人に限定して、)もともとが無頓着だったわけでないならただの強がりだと思う。


なんで一昨年まで着ていた服を着たらいけないんだろう。肌の水分量が減ったくらいで。なんで見苦しくなるんだろう。不思議。

涙袋やハイライトでキラキラにしたら無理してるように見えるのなんでなんだろう。
毛穴や小さなシワを隠しても水分のなさが隠れないのはなんでなんだろう。

どんなにカラーをしても艶々でサラサラだった自慢の髪の毛もついに痛みが目に見えるようになった。どうしてだろう。


今はまだ絶対に抗ってやるというところまでの意気込みはないんだけど
なんだか不思議なことがおおくて戸惑いがでかいんだけど
いつかわたしも美魔女を目指すようになるかもしれない。あの日不自然で醜いと思った記憶を持ちながら。それでもかさかさのよぼよぼでいるよりはましでしょってカラ元気でやっていくのかもしれない。なんだか怖い。


で、別に美魔女の話をしたかったわけじゃなくてさ。
タイトル通りわたしは別のことで老いを感じて悲しくなってるんだよ。

胃袋というか食道というかさ。
ドーナッツ2個食べれないんだよ。

食べたんだけどね、それからずっと気持ち悪いの。
朝ごはんにミスドを2つ食べたの。チョコかかってるポンデとチョコかかってるオールドファッション。
もうずっと胸焼けがすごくてさ、本能的にコンビニに寄って烏龍茶を買ってたよ。ほとんど無意識に。油を落とさないと食道が死んじゃうと思って。

学生の頃はさ、3個でも4個でも食べれたし
わたしはクリームが大好きだったので不二家のケーキバイキング(今もあるかは知らないけど、通常販売されてるサイズのケーキそのまま食べ放題があった)で11個ちょい(1人前サイズ11個とこまごましたひとくちサイズのものをちょいちょいつまんでた)食べれたくらいには糖分油分耐性が強かったのよね。自負があるの。

それだけに、2個で気分悪くなるってショックが大きいよ。悲しい。


あとはそうだね、去年謎の膝痛に1ヶ月くらい悩まされたことがあって、一応レントゲンでも健康的でプリっとした膝だったし様子見してるうちに急に治ったんだけどさ。その時にすごく考えた。膝が悪くなるって他人事じゃないんだなって。
CMとかでケア用品とかよく見るじゃん。いつかは自分もああいうの使わないと、というかきっと使ったところで根本の解決になるもんじゃないし違和感不快感と共存して生きていくんだなってことを考えたらなんかやっぱ老いって恐ろしいもんだね。
でさ、病院に行った時に膝に負担にかかる行動として階段としゃがみ姿勢はNGって言われたの。
階段はなるべくエスカレーターに変えたけどさ、しゃがみってどうしてもやるのよ。犬構ってる時とか。これ、ほんと恐ろしい。膝がいかれたらこんな日常のささいな動作ができなくなんだよ。恐ろしいよ本当に。
生きるってなんだろうなってとこまで考えた。老いてまで生きる必要ってなんなんだろうなってことはずっと考えてる。

逸話かなんだか詳しいことは知らんけど王朝とか昔のヨーロッパあたりの話でよくあるじゃない。老いを怖がる貴人の話。

今なら理解できるもん。
いやさ、若者の血を搾って風呂にして浴びようとかは無理だけどさ。行動原理というか気持ちはわかるよね。だっていまわたし、急に10近く違う若者たちにハマってるもん。男女問わず、若いアイドルの元気はつらつさにエネルギーもらってるもん。そういうことなんだよ。
これもやっぱりさ、今はまだこれを生きる糧にしてるまでの重たいものではないけどさ。いつかそのうち自分の生きる意味がそれになるのかもしれないよな。怖い。

YouTubeとかでさ、明らかに中年のコメントだなって、わかるじゃん。
おもてえ自語りとか場にそぐわない言葉遣いだったりとか何十年前のネットスラングだよってのを平気で使ってたりとか。自分がいちばんひゃーってなるのは「わはは」って笑い声を書いてるやつなんだけど。いじりでわざとらしく笑ってるとかじゃないよ、普通におもろくて声出して笑っちゃうようなことが起きた時にね、こういうの流れるとうわぁこいつぁってちょっと思っちゃう。

でもさ、それもいつかは自分もそうなるんだよ。
なんでもかんでも明日は我が身。まじで生きていくの怖い。
わたしはコメントもともとしないタイプだけどさ、どこかで恥を感じなくなったりとか空気読めてなくても気にしないみたいなマインドが芽生えてくるんだと思うんだよ、歳をとるってそういうことだから。そしたらわかんないよね。わたしも10年後20年後には「わはは」とか「草」とかうってっかもしれん。草っていつの時代の言葉だよって思われるのも気にせず、いや、思われてることにも気づかないんだきっと。そうやってやっていくんだろうな。怖い。


体力が落ちたのはすごくあるんだけど、運動してないんだからしょうがないかなって思ってて、つまり運動さえすれば取り戻せると思ってるそういう自己肯定感でやってる。でも薄々、きっと今の自分に運動なんて出来ないんだってことも思ってる。
例えばわたしって体育でいうとマット運動がとてつもなく得意だったのね。幼少期何してたってわけでもないけど謎にインナーマッスルが出来上がってて体の使い方も上手くて柔軟性もあって、教科書にのってる技がぽんぽんできてたの。
飛び箱の上で倒立するやつやってるときに調子乗りすぎて手滑らせて落ちてから飛び箱は苦手になって普通に飛ぶことすら出来なくなったんだけどさ。あと逆上がりとハヤブサコンドルもできないんだけどさ。
まあでもなんか体使うのはうまいんだという自分への信頼が強くて、運動は苦手じゃないっすみたいな顔して生きてきてたんだけどさ。

でももうそういう顔もしちゃいけないよな。だって多分まじで何もできないよ今となっては。
縄跳び10回も跳べる気がしない。
あとなんかだるま落としが得意すぎておもろかったんだけどそういうのもできないと思う。感覚的にやることを筋肉で補ってた分、筋肉なくなってすごく不器用になった。実感がある。


そしてね今老いとは関係ないけど利き手を負傷しててさ。逆の手でいろいろやろうとするんだけど不器用すぎてつらかった。
口をゆすいだあとに手を残したまま水を吐き出して手に口から出た水が全部かかった時はもう本当に悲しい気持ちだった。
コンタクトもとれない。爪がささる。指の向きがわからない。

何ができるんだろう自分って思ってしまう。
慣れで生活してきたものをとられたら何もできずに死んでしまうわ。


なんだかそんなことを考えているんだけど、でも考えたって仕方ないもんなあ。時は平等だからね。

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