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私が息をするために必要な存在

30代後半、一児の母。
そんな私は超がつく人見知り。

歯医者の予約でさえドキドキ。誰かに代わりに言ってもらいたいほど初めての人や場所、事に対して敏感。

頑張って話し終えた暁にはもれなく罪悪感が押し寄せる。「あ〜あの時、もっと良い言い方があったのに…」「不快に思ってないだろうか」そんな解決もしない事で1日の半分くらいを無駄にする。

性格はもちろん、双極性障害や自閉症スペクトラム、ADHDと診断を受け治療中の身でもあるから尚更かもしれないが私は素晴らしく会社勤めに向いていない。

作家になる前は、ずっと色んな企業を転々としたわけだが、酸素が薄く呼吸ができないような息苦しい。毎日そんな感じだった。

何もかにも不器用な私の唯一褒められる事が何かを表現すること。私自身も作ってる時だけは本当の自分になれたような感覚で楽しかった。

「お前は勤めるより自分で何か作って自分で発信する方が向いてないか?」

と言ったのは夫。正直目からウロコ。私なんかが自分で責任もってやってけるのか?そういうのって頭の回転が早くて機転が利いて賢くて…

「いや、意外と変態が多いぞ」
「お前も変態だ!やれやれ!」

と言われ笑いながらも何だか腑に落ちた。

夫は何のために働くのか?と聞けば食べて行くため…とかではなく「楽しいから!」と即答で返してくるような人だ。

その勢いに憧れ、やる気になって踏み出してからあっという間に6年。この6年間は空気が美味しい。深呼吸すれば新鮮な空気がすーっと胸いっぱい入ってきて気持ちが良い。

私にとって自分を表現するのは“言葉や行動ではなく何かしら作ることなんだ” なんて楽しいお仕事だ。そんなお仕事は自分1人ではやっていけなくて

夫の支えや理解、保育園の先生、お客様の応援や「可愛い」の声、子供との時間、そういうのがあるからこそ実現できている。

私が息をするために必要なものことはコレだ。

なぜだか、あんなに苦手だった人との接触も“作りたいものを作るためだ!”と思うとグイグイいけるし、私なんかがママ友さんと上手く会話しているのだから凄い効果だ。未だに当たり前に接した後の罪悪感はあるのだけれど何かを作ってる間に忘れてしまう。

天職というものは存在しないと思っていたけれど私の中の天職は、

“口の悪い夫の妻でいること”
“愛しい娘の母親でいること”
“作家としてモノづくりに励むこと”
まさに今のこの状況なんだと思う。

やりたい事を仕事にできた事を嬉しく思う。

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