心の割れ窓理論

割れ窓理論とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論です。

まず、私自身は窓割れ理論そのものには賛同できない立場です。ですが、窓割れ理論の論理は使えると思っています。割れ窓理論の論理は人間の内面、つまり「心」にも適用できると思うからです。

「心の窓」が割れている人間は「外部の窓」を割る

という視点。割れ窓理論を心身一見で捉えたいのです。


前提1:人間の「心の窓」は、そもそもは割れていない。

人間は未熟な赤子として生まれてきます。
未熟ではあるが「心の窓」は割れていない。

前提2:「心の窓」を割るのは「外部の割れ窓」である。

動物は学習をします。
人間は学習能力に極めて秀でた動物です。
なので、周囲の環境(外部の窓)が乱れている(割れている)と、その「乱れ(割れ窓)」を学習してしまいます。

学習という大前提に、前提1・2が加わると

心の割れ窓理論の中心命題:
「心の窓」が割れている人間は「外部の窓」を割る

が導かれてくるという理論です。

ジョージ・ケリングの割れ窓理論は環境にしか注目していません。なので”軽微な犯罪を徹底的に取り締まるべし”という「規範」を生み出しますが、割れ窓理論を心にまで拡張すると、

「規範」は心の側からみると、「割れ窓」である

ということになります。つまり徹底的に取り締まることは「心の窓」を割ってしまうので、犯罪抑止にはつながりません。表面的な抑止にはなっても、そもそもの原因を根治することにはならないと思うのです。


感じるままに。